初秋の散歩

今日は、朝から夕方まで爽やかな風の吹く週明けだった。
この保育所で過ごす日々も今週限りになった。

朝のミーティングが終わると、所長がわたしに言った。
「タロウチャンの巣箱のお掃除お願いしますね。」
「はい。」
わたしは笑顔で答えた。

3連休のうちに、九官鳥のタロウチャンはすっかり
餌を食べつくし、お腹を空かせているようだったし、
わたしが巣箱を持ち上げて移動すると、
いよいよ水浴びだとわかるようで嬉しそうに見えた。

しばらくすると、5歳クラスのRくんもやってきた。
いつものように、エスケープがてら巣箱にこびりついた
緑の糞を束子で擦り落としているわたしに気がついて、
寄って来た。
「先生、おいで。」
「待ってよ。今、タロウチャンのお世話してるの。
 Rくん手伝ってくれる?」
「いいよ。」
Rくんと二人で巣箱を運び、タロウチャンを元の
玄関に置いた。

今日は、主任の許可を得て、初めて園外の散歩に
付き添うことになった。
初めてといっても、他の保育所で勤務した経験では
何度もあったが、この保育所においては、
要注意扱いで、囚人気分で過ごしているから、
所長の釘指しが、出かける前にもあった。
「声の掛け合いを忘れずに。自分ひとりで判断しないように。」
「わかりました。」

Rくんは、親切にわたしに赤いキャップと水色のブラウスを
手渡してくれた。
「ありがとう、Rくん。」
手をつないで門の前に並んだ。

Rくんは、静かにわたしと列の最後尾を歩いたが、
その前のクラスメイトの坊ちゃんたちが、
おしゃべりが止まらない、前をよく見ないで
ふざけながら列を乱したり、途中でどんぐりを
拾ったりとはらはらし通しだ。
「ちょっと、前見てよ!」
「ちゃんと詰めて歩いて、アブナイ!」
まるで注意が入っていない。

10年前にはいなかっただろうこういった再三再四の指示を
ことごとく聞いていない坊ちゃんたちは、
いちいちそう思いたくないが、
「来年、学校だよ大丈夫?」とか、
「まさか、ADHDじゃないでしょうね」と勘繰ってしまう。

この町の環境丸ごとが、落ち着きのない殺伐とした
ムードに包まれているからなのか、原因ははっきりしないが、
明らかに「発達障害」と診断されている子どもは、
この保育所90名中7名で、そのうち4歳児クラスに4名在籍している。

柿の実が色づく畑や、コスモス、彼岸花の咲く空き地を横切って
20~25分でS公園に着いた。

公園に着くと、子どもたちは一斉に大型固定遊具を目指して駆け出したが、
Rくんは、しばらくわたしと手をつないで公園の沿道を歩いているうち、
友達の持っていた大きな石に興味を示し、さっと横取りした。
この頃、少しマシになっていた彼のイケナイ行動スタイルが、
顔を出した。
「Rくん、ちょうだいって言ってないよ。」
「いいよ、あげる。」
「いいの?ありがとう。」とRくんの代わりに言ったが、
彼は無言でその石を握っていることだけに執着しているようだった。
担任から注意が入った。
「投げたり、危害を加えないように気をつけてね。」
「わかりました。」

わたしは、Rくんに事前にくどくならない様に言い置いた。
「Rくん、大事な石だから落とさないように持っていてね。
お友達に投げたら危ないから、その時は、Y先生に持ってもらうよ。
いいかな?」

Rくんは返事をしない。
そのうち、どんぐり拾いや、あとから追いついた
3歳クラスの子どもたちが来て賑やかになり、
Rくんは、仲良しのSくんを追いかけて手をつなごうとした。
固定遊具にものぼって、滑り台で滑ることを楽しみ出した頃、
「せんせい、持ってて。」と石をようやく手から放した。

公園を出る時間をRくんは憶えていて、
一番先にしゃがんで出口の近くに待っていたが、
後からできあがった列と離れて並んでいたから、
先頭のSくんの前に陣取ったRくんは、Sくんに
「俺たちが一番前だぞ!」と文句をつけられ、その途端
手が出てしまった。

このように自分のつもりと、状況がずれてしまうと
Rくんは担任の説明にも納得したり、我慢したりできず、
怒りを抑えられなくなる。
多分、あまりだらだらとした説明はわからないだろうし、
何より、理由はどうあれ自分の要求を阻止されたことや
叱られた口調などに神経が苛立ち、感情を取り乱してしまう。

こんなときは、ほぼ90%の確立で、友達に譲歩してもらって
事なきを得ている。
Rくんはわたしと先頭を切って保育所に戻った。

さっき拾った大きな石は、彼のコレクターに加えられた。
保育所に戻ってくると、Rくんはロッカーの上に置いてある
黄色い籠の中身をひとつひとつ見せてくれた。
「また宝物がひとつ増えたね。見せてくれてありがとう。」
わたしや第3者の目から見て、彼の宝物はガラクタにしか
見えない。

そんなRくんにわたしは努めて穏やかに接している。
なぜなら、わたしの父は幼い頃きっとRくんのようだった
だろうと想像するからだ。

昼食の支度にもわたしの手を引きそばにいて欲しがるRくんに
加配のT先生が言った。
「Rくん、お昼寝のときゆきんこせんせいにきてもらうんでしょう。
何ていうの?」
「お昼寝のとき、きてね。」
「いいよ。じゃあ、1時にね。」

そういうわけで、1時から30分間で彼は寝入ったものの、
Rくんはみんなより15分早く目を覚ますと、ふとんをさっさと
畳んで、またわたしの手を引いて雑魚寝の遊戯室を出る。

今日は、2時から障害児のお母さんたちが集まっての
「おしゃべり会」があって、Rくんのお母さんも
出席していた。Rくんが職員室でお母さんの存在に気づいたところで
バトンタッチ。

おやつの時間からは、運動会のゼッケンのアイロンかけ
それが終わって、4時から5時15分までは窓拭き掃除で時間を潰した。

乳児室の前を通ると、外で13ヶ月のYちゃんがじっとわたしを
見ていた。前にも同じ状況があったのだが、
わたしが手を振っても、またじーっと見て眉をひそめていた。
Yちゃんは1歳を過ぎたばかりなのに、いろんな状況や気持ちに
気づいたり、感じたりしているようだ。
乳児室には、固定の3名の保育士が配置されているが、
1名が欠けるとエキストラで数名の保育士が代理で入る。
送り迎えが遅く、多くの保育士に自分の身を否応なしに
預ける反面、Yちゃんはきっと人を見る目も自ずと肥えてくるだろう。

8月には、自分からわたしのところによちよち歩きで
親しんでくれていたYちゃんの、ことばにできない気持ちを
推測してみる。
「ゆきんこせんせい、またそんなおそうじばっかりで、
ちっとも来てくれないんだから・・・」

わたしがいよいよ姿を消す日には、Yちゃんは気がついてくれるだろうか。

園舎の端の乳児室の外側の窓から拭いていく。
窓越に、ベビーベッドで8ヶ月のりんちゃんが
うつ伏せになっていた。わたしの顔を見て
りんちゃんはニコっと笑った。
「りんちゃん、わたしのことわかるんだね。」

裏に回って、網戸を拭いていると、乳児室の担任が
洗濯物を取り込みに来た。
「S先生、連休楽しかった?」
「ウ・・・ン」
「今日は涼しい1日になったね。」
「ほんと~。先生、もうあと4日なのかぁ。」
「わたしのこと、気にしてくれてるの?」
「気にしてるわよ。だって、何か、何か・・・」
「いいよ。何も言わなくて。その気持ちだけで嬉しい。
わたし、8月に乳児室に入れて、せんせいに親切にしてもらったこと
本当に感謝してる。
10月になってここを辞めたら、すっきりすると思うんだ。
気分転換に旅行に行こうと思ってるの。
今回の事故は、自業自得だし、アルバイトだって自分で選んだんだもの。
わたしは、自分のことだけ考えていればいいけど、
小さい子どものいるS先生には、お金が必要なんだし、
正職員だからいやなこともいっぱいあるんでしょう?」
「ええ、そうよ。」
「だから、気にしないで。」

1歳児クラスに窓拭きを進めると、子どもたちは
「あ、せんせい」と指差しして微笑む。
「おしっこでた?」
「せんせい、見てこれつくってん。」
「きのうな、○○おとうさんと行った。」
傍にいる室内の保育士に言えばいいのに・・・

雑巾を洗って職員室に戻ると、正職員が勢揃いして、
ある母親の語りに神妙な態度で傾聴していた。
「あの事故から3年も経ちましたが、あっという間でした。」
市内のある保育所での怪我が元で子どもが意識不明の状態が
依然として続いているという。

あと1週間でお払い箱のわたしだが、こうした不祥事の
積み重ねと過去の対応のまずさを自治体は引きずっているという
背景が今回の処遇を余儀なくしたのだ。
わたしは重々しいムードから逃れるように所長に一礼して退室した。

平穏無事が何より一番だと切に思う。



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