ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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昨日は、終日自宅で一昨日7日の日記を書いていた。
午前中からPCを立ち上げ、その10月7日の出会いや感動の瞬間・瞬間を丹念に綴りあげた午後3時すぎ「記事を保存」をクリックした途端、消滅してしまった。

それから、ふてくされモードに陥り再記入する気力は失せてしまった。

またダイジェストに書き直すかもしれないが、その前に今日の出来事を綴っておこう。

週明けにTちゃんから誘いがあって、デートする約束だった。
午後11時にメールでやりとりしてお弁当もつくって最寄のバス停からバスに乗った。
車窓越しにTちゃんがスマイルで手を振った。
「席をとっていてくれてありがとう。」

行き先は終点のHまで、バスで約40分かかった。
人口40万人のわが故郷は、人口衛星都市として知られているものの、
バスが山並みに近づくに連れて、その風情は実る稲田に彩られていった。
「この町って広いよね。」
「でも、H地区は代々の地の人々がずっと住んでいるところだから、駅前の市街地に比べると、
同じ市内って感じがまるでしない。」


Tちゃんとバス停を降りて短期大学の門の前から徒歩で目指すコスモス畑へのほほんと歩き出した。
Tちゃんは家族連れで以前このコスモス畑へドライブしにきたそうだ。
今日は前回よりも、日差しも強く10本100円のコスモス刈りもひととおり終わったのか、ちらちらと咲き残っているという感じだった。

「せっかく来たけど、あんまり咲いてないね。」
シニア世代の女性の三々五々のグループがまばらに歩いたり、畦に腰を下ろしてお弁当を食べたり
する姿もあった。

ブラブラ歩きをしていると、前方から軽トラックが近づいてきた。
「黒豆の枝豆買わない?」
「100円?」
「ううん、一株500円」

こっちは失業者。安いといっても単価が高い!
Tちゃんが買ったので、トラックが遠ざかってから交渉してみた。
「ねえ、お裾分けしてもらえる?うちは母と2人だし、そんなにはいらないんだ。」
「いいよ。」
そういうわけで、100円分を切り分けてもらった。

棚田になった、稲とコスモスの地帯を一巡して、正午から午後に向けて日差しが強くなってきた。
一望して日陰が見当たらず、何となくもと来た道を辿っていくと、短大の裏門付近に木陰とベンチを発見した。

「ちょっとここに座ろう。」
Tちゃんがコカコーラのベンチにパンダ柄のピクニックシートを敷いてくれた。
「は~。もう10月なのにまだ暑い・・・」
ゆきんこの拵えたオリジナルおにぎりと付け合せのおかず、Tちゃんの果物、おもちを並べてお弁当タイム。
「いただきます。」
「どうぞ。実は、Tちゃんのお弁当、期待してたんだけどな。ママだから幼稚園の遠足弁当も作ってたんでしょ?」
「ああ、ごめん。子どもたちはもう給食だからね。」
「私も保育士時代はずっと自弁だったけど、人に食べてもらえるようなお弁当を作るのは自身がなくて」
「私もいわゆるキャラクター弁当などは、子どもたちに作らなかったよ。野菜の好き嫌いがあるとレパートリーが少ないから、見た目のかわいらしさまで追求できないし。」
「でも、子どもって味より見た目のおいしさに誘われて食欲が増すこともあるじゃない?」
「そうだな。ママ友だちでも上手でかわいいお弁当作る人はいたよ。」

話題は、卑近な子どもの話、Tちゃんのママ友だちが次々と再就職したので、日中過ごす友達が減ったこと、なかには、子育てのブランクにもかかわらず、私学の教員に復帰したというスーパーママ友の話、それに感化されてTちゃんも2週間前に応募した面接で採用が決まり、来週から働き始めることになったこと、母として21世紀を託す子どもの将来への不安、宗教や迷信の科学的実証の可能性や、幼い子どもたちへの影響の功罪、自分の死後にはどの墓にどんなふうに入るのか、婚家との付き合い方などなどバスのなかでも往復1時間で、多様に展開していった。

おしゃべりがつきないうちに、自宅の最寄のバス停に着いたのは、午後2時過ぎ。
「うちに寄っていく?」
「・・・うん。じゃあ、3時前まで。」
Tちゃんの子ども2人が小学校から帰ってくるまでの小1時間、立ち寄ってもらった。
駐車場のフェンスの掲示に目を留めたTちゃん
「この地域も区民体育祭あるんだね。」
「うん。来週の日曜日。私も3年くらい前に参加したことあるよ。大縄跳び。」
「うわ~。あれは大変!ところで、さっきのバス停までの道がもうわかんなくなっちゃった。」
「帰りは送るから。ごめんね。全然掃除してないけど、どうぞ。」

Tちゃんを自宅にお迎えしたのは、12年ほど前になる。
駅前の市街地に住んでいるTちゃんが、遠隔のゆきんこ宅まで来ることはこんな機会でもないとそうそうないことだ。

母のもてなすコーヒーブレイクで、次の話題は趣味の話。
ノーベル賞受賞者の人生ってなんと羨ましいことか・・・と。
凡人は、好きなことを究めていった果てにそれを生業にして、一生を遂げることなんて難しい。
それに恵まれているのは天性の知性と飽くなき好奇心、そして死ぬまで続けられる安泰な社会的地位のある数奇な人々だけだ。

それでは、せめて趣味だけでもと思うが、ブラスバンドに青春を捧げたあの学生時代の環境を自分たちでどうやって再生できるだろう。
Tちゃんの姪御さんが、今現役のブラスバンド部員で、トロンボーン奏者として活躍しているそうだ。
聞けば、コンクールで優秀な学校は私たちの現役時代と変わらない懐かしい学校名も飛び出した。
「優秀な学校は何年たっても優秀なんだね。」

Tちゃんは、子どもたちの個性を母として見守りつつ、これからどんな趣味や興味・関心を持ち、どんな仕事に就き、どんな人生を歩いていこうとするのか、その思いを馳せているようだった。
自分たちは、ぼんやりと思春期を過ごし、世相の動向にあまり関心もなければ、自然、進路や職業の選択がその後の人生を大きく作用することに、非常に疎くて無防備だった。
その分、青春時代は危機感もなくある意味謳歌できた世代だったと思う。

たとえ、配偶者に守られて安泰にみえたとしても、日本社会全体の未来展望が明るくなければ、その日、その日の憂さ晴らしや暇つぶしも楽しむことができないと、Tちゃんの話題から感じ取ることができた。

私としては、7日の出来事とTちゃんの仕事再開の報告に就職活動のモチベーションが高まった。
配偶者に幸せを確約されなかった私は、やはり、泣いても、凹んでも、自分で自分を奮起させるしか方法はない。願わくば、ノーベル賞並みの人生に肖りたい。
けれども、出生の段階から能力・進路に至るまで、格差をつけられていて「運動会」さえ同じように競争しろだなんてやっぱりおかしいだろう?

全知全能の神様がいるなら、生れ落ちたところから是正してもらいたいものだ。


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