母から受けたKさんのエピソード

午後6時から母との夕食を食べながら「かんもく」の話題になった。

滅多にお目にかからない「かんもく」の人々が、ブログでリンクをはじめてから次第次第に日常茶飯事になりつつあるゆきんこの人生。。。

それは、ブログやネット上だけでなく、現実ともリンクしていくだろうというゆきんこなりのボトム・アップのアプローチでもあり、当事者の方々に対する有形無形の過去の懺悔でもある。
それは、私の生業として無意識に見過ごしていた罪を誰もが背負っているのではないかという懺悔だ。

私は、若く容姿端麗なKさんにお会いしたのは、認知症もどきの母と話をしても何年前か明確に思い出せない。後にも先にもその時、たった一度だけだった。
その時のKさんの印象がまるでない。

Kさんと、母、母の同僚のIさん(故アムロの飼い主さん)、Hさん(ゆきんこの同窓生の母)そして
ゆきんこという5名のメンバーで、付近のレストランで「お別れ会」のランチパーティーを催したのだ。

何のお別れ会かといえば、母が25年間運営してきた小さな無認可の簡易保育所を閉所し、この保育所に勤務したことのある職員が集まったのだ。

ゆきんこの場合、10年前に自閉症の療育施設を退職して、言語障害の専攻科に進学を決めたのだが、入学するまでの1ヶ月間アルバイト保育士をさせてもらった。

その数年後、Kさんは、母の保育所にアルバイトという名目でやってきたので、私はKさんと一緒に働いていたわけではない。
Kさんは、ある事情があって依頼を受けて母がお預かりしていた娘さんだった。
母がKさんの御母さんから間接的に共通の知人に頼まれ、Kさんにバイトをしてもらうことになった。
当時の推定年齢は中学卒業後、高校進学はしなかったので、16歳だろう。

母はKさんのことを「こんなに綺麗な子がいるだろうか」と女性から見てもうっとりするくらいの美貌だったと強調して形容した。

保育所管理者だった母によると、Kさんのはじめの仕事振りは、はっきり言って保育どころではなかった。
Kさんは、バイト時間の大半を小さな畳の保育室にじっと正座をしたまま、動くことも話すこともしないで過ごしていたらしい。
Kさんの微動だにしない様子に、ことばを発し始めた数名の乳児・幼児たちとじ~っと見詰め合っていた。

しかし、母をはじめ、同僚保育士のIさんとHさんも彼女に特別の干渉もせずに、淡々と普段と変わらぬ
保育を務めた。
Kさんは、話すには話せたが、母だけに耳元でそっと小さな声で話したという。
母は、そんなKさんにできることから少しずつ仕事を与えていった。
Kさんの得意は、イラストを描くことだった。
Kさんは、保育室の壁面飾りや手作り絵本の作成に力を発揮した。

ある時、母はKさんに子どもたちに絵本の読み聞かせを頼んでみた。
その時、Kさんは子どもたちの前ではじめてことばを発したのだ。
「これ、ゾウやで!」

しばらくしてKさんは、デザイン好きという趣味を活かしてネイル・アートを習い出し、保育所のバイトを終えた。

後日、母がKさんのお母さんに再会する機会があったのだが、Kさんの御母さんからその時Kさんの面倒をみたことについて、感謝だとか、特に挨拶らしい挨拶もなかったことも、妙に印象に残っているようだ。

それから、数年経った現在、「Kさん」を知る母の知人から今頃になって「Kさんの話」が再浮上した。
それは、今日母が出かけたサークル活動のメンバー間での話題となった。
サークルのメンバーは、殆どが引退した嘗ての保育・教育の同業者だ。
母は、当時の保育所で過ごしたKさんの様子を回顧してメンバーに話し、彼女は恐らく「かんもく症」だったのではないか?と持ち出した。

すると、メンバーのひとりがKさんの学齢期のことを思い出したそうだ。
やはり、Kさんは学校で「話せない子ども」として教育者から認識されてはいたようだ。
しかし、やはり問題視はされずにいた。
Kさんは小学校3年生で不登校に陥った。
不登校の間、親族の中にも学校関係者がいたようで、家庭教育を受けたのだが学力も落ちていったそうだ。
そして、Kさんの母親もまた、保育園の園長という子どものプロであるにもかかわらず、Kさんの学校での様子をどのように受け留めていたのか?知っていたのかどうかさえ、闇雲だったと推測される。

母は、Kさんの情報を提供したその人に、Kさんとその御母さんの消息の手がかりまで尋ねた。
しかし、学校関係者であったその人も、今更、Kさんについてそれ以上は言及したくないという微妙な反応を示したそうだ。

こうして、Kさんの謎は謎のまま、話題に上らなくなってしまう。
誰も「Kさんはなぜ話さない子どもだったのか」、「どうしたら話せるようになるか」まで、追究しようとしない。
仮に、「かんもく症」ということばはどこかで知り得ていても、目の前にいた「話さない大人しい子は、かんもく症」かもしれないというセンサーが働かなければ、家族はもちろん、学校関係者にも当然、見過ごされてしまうだろう。

できることならKさんにもう一度会ってみたい。そして、私の近況を伝えたい。
Kさんも、たった一度だけ会食を共にした私を憶えていないだろう。

現在20代前半になったKさんが、ネイル・アートの世界をきっかけに、話せるようになったとか、
その後、結婚して幸せに暮らしているらしいという伝聞に、第4者の私は、ただその伝聞通りであって欲しいと祈念するだけだ。


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