日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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奇跡のシンフォニー
2008年11月22日 (土) | 編集 |
今日も快晴の穏やかな小春日和。
心の天気もこのようでありたいけど、そうはいかないのが人間に生まれた辛さかな?

今日はいい夫婦の日。
なんだけど、午前中ご近所の4人のミセスが集まって出かけたのは、市民会館大ホール。
3連休に連れ合いと過ごさない理由は人さまざまですが、
なかなか夫婦円満っていかないのかな~?

19日水曜日に裏のWさんと誘い合わせて前売りチケットを600円で購入しました。
ついでに母と母の知人のSさんも加わって多文化フェスティバル関連事業の国際シネマ劇場に出かけました。

シネマタイトルは「奇跡のシンフォニー」(2007 アメリカ)
ケヴィン・リマ監督/フレディ・ハイモア主演
上映時間1時間54分

児童擁護施設で11年と16日育った少年オーガスト。
彼は消息のわからない両親に捨てられ、絶望的な孤独の日々を過ごしていた。
そんな彼の心の支えは、いつか両親に会えるという希望と神様から贈られた音楽の天賦の才。

12年前のオーガストの出生は、両親にとっても深い心のわだかまりを残していた。
才気あふれる名門チェリストのライラと、ライヴハウスでリードヴォーカルとして人気沸騰中のルイス
ある月夜の晩、奇跡的な出会いに二人は恋に落ち、一夜を過ごした。

しかし、同じ音楽家であっても、一流クラシカル業界に棲むライラと大衆音楽界のルイスが
再会する機会は訪れず月日が過ぎた。
ライラは一夜の恋で身篭っていたが、年若く将来有望な彼女を父親がシングルマザーにすることを拒んだ。

出産は無事に済んだのだが、ライラの父は子どもは死産だったと嘘をついて
身元がわからないように施設に捨てたのだった。

ルイスとライラは、音楽に対する情熱を失い、抜け殻のような人生をそれぞれに送っていた。

オーガストに類まれな天才的音楽の才能を見出したのは、施設の管理人(ロビン・ウィリアムズ)
元管理人とオーガストは施設を脱走した。
自由を得たものの、オーガストのストリートギターで流しをしながら生活を続け、行政から追われる身となった。

ある時、オーガストは教会のゴスペルに混じっている少女と出会い、ピアノのレッスンをかじってみた。
すると、瞬く間にオーガストは音符を書き並べ、シンフォニーを作曲し、ついには、教会のパイプオルガンを即興演奏するという驚異的な才能を発揮した。

オーガストの才覚を見出した牧師の手引きで彼は無名の神童として、音楽院に入学し、
英才教育を受けるまでになった。

そんな折、ライラは父親から「11年前の子どもが施設で生きている」という遺言を聞かされた。
わが子の消息を探し全米を隈なく奔走すると共に、自然、音楽への志気を取り戻していくライラ。
ライブハウスを引退したルイスにも、音楽への再挑戦の転機が訪れていた。

音楽院で英気を養っていた孤児のオーガストにもチャンスが到来した。
栄えある音楽祭の最終演目としてわずか11歳の少年がオリジナル狂想曲を自らの指揮で演奏するという異例の大抜擢を受けた。

その同じ音楽祭で、母ライラも独奏することは神様だけが知っていた。

ところが、運命は逆戻りした。
元施設管理人が父親だと名乗り出て、オーガストを連れ戻しに来たのだ。
オーガストは管理人に「施設へ連れ戻すぞ」と脅され、指揮台を降りなければならなかった。

管理人の罠にかかり、再び流しの路上ライブで日銭稼ぎに戻ったオーガストは失意に満ちていた。
そこへ、偶然、ルイスが通りかかりギタリストとして親子と知らぬまま再会を果たした。
二人は無心にギターを弾くことで音楽の喜びをかみしめあった。

そして、奇跡のシンフォニー
音楽祭が間もなく始まるという、夕刻。
オーガストは、管理人から逃れ、ひたすらに会場へと走った。
最後の演目の出演に間に合い、浪々と指揮棒を振って数千人の観客に披露するオーガスト
その神から与えられたと思えるほどの調べは偶然、付近を通りかかったルイスと
チェロの独奏を終えたライラの耳にも響いてきた。
消息不明だった息子オーガストは、自ら作曲した荘厳な音楽であの月の一夜以来、引き裂かれていた二人をつなぎあわせ、家族の絆を取り戻した瞬間だった。

ラストシーンに隣のWさんはじめ、多くの観客が涙を拭った。
さて、ゆきんこの場合、今回、素直に泣けない昨今の積み重なった憂さが邪魔をしていた。

まず、アメリカ社会の貧富の雲泥の差が映画からにじみ出る作品だ。
養護施設にいる子どもたちは殆どが黒人だった。
ことばは荒れて暴言と毒舌ばかり。
劣悪極まりない児童養護施設という環境で唯一白人の孤児オーガストは、黒人の子どもたちに虐めぬかれていた。
オーガストと音楽つながりで出会った子どもたちも黒人で、彼らを凌駕して上り詰めていくオーガストに彼らは嫉妬心を覚えていく。

また、いつも好々爺タイプを演じている名優ロビン・ウィリアムズの役どころもシニカルだ。
恩着せがましいのか、オーガストが神童であることを見出した管理人が、施設から脱走し、
金儲けしようと企むところも、アメリカ社会の矛盾を風刺している気がする。

児童福祉にかかわるスタッフも殆どが黒人で配役されているのに反して、
雅な音楽院関係者は白人の割合が多くなる。

音楽を通して父と母をつないだストーリー性よりも、音楽というひとつのプロフェッショナリズムから・能力主義・ビジネスライクに偏狭なアメリカ社会を垣間見て、人間社会は古今東西決して公平でも平等でもないということを思い知らされるのだ。

それに、そもそも子どもを捨てている理由がけしからんじゃないか!
父と母との間に横たわる音楽界の禁断の壁
生まれてきた命をなかったかのように抹殺する人間の卑劣さ、払拭できない差別と偏見が
子どもを犠牲にしている。


なんてことは、チラシの裏に書いてある各芸能人のコメントにはまるでない。
美辞麗句だけでは片付けられないのは、ゆきんこ独自の半生と感性が「伊丹十三」タイプだからなのかも?

そして、自分がどこにどんな風に生まれるのか、どんな才能や環境を与えられているのかは、
やはり神に支配されたものなのか?人間の創出する邪悪な社会システムの弊害か?

なんだか、頭がおかしくなってきた。。。
こういう映画みると、やっぱり、、そもそも(周囲からそう思ってもらえない)ペシミストの私は、
自分の子ども時代を思い出したり、現状の儘ならなさに自分の子どもを産まなくてよかったかも?
と妙な防衛反応が強まってしまうのだ。
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2008/11/22 15:50 | 鑑賞 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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