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2008/11/24 (Mon) 人間としての視点から「自閉症」を考える
天気予報どおり、3連休の最終日の今日は、終日雨となった。
午前は11時30分過ぎに、市立総合体育館へ出かけた。
Tちゃんの娘のYちゃんが演技するスポーツ祭りを見物させてもらった。
ブルーのチアリーディングの衣装とポニーテールの少女たちがかわいらしく
揃って演舞した。

本当はTちゃん一家にとってお邪魔ムシのゆきんこ。
Tちゃんの夫Yさんにも再就職のお祝いのことばをいただいた。
Tちゃんの親族よりも遥かに出没頻度の高い他人のゆきんこに、
Tちゃん一家は優しく温かい、そしてごく普通のいい家族だなと思う。
どこへ行っても、家族もどき・シングルもどきの自分がなんとなく切なくなるな~。

12時30分にはレインコートを纏って、Tちゃん家族と別れた。
Tちゃんが心配してそばまで見送ってくれた。
「自転車じゃなかったら、車に乗って一緒にランチ食べに行けるのに。」
「家族みんなでおいしいもの食べてきて。
今まで市内どこへいくにも、びしょぬれになったことなんて何度もあるから気にしないで。」

レインコートを着ていても顔に雨粒がかかるとそれだけでなんとなく不快だ。
午後から雨脚が強くなり、自宅で独り昼食を摂ると再びレインコートを着るのに勇気が要った。
次の目的地は総合福祉会館

自閉症児親の会主催の第6回講演会を午後2時~4時まで聴講した。
演目「人間としての視点から『自閉症』を考える」
講師 高岡 健先生(精神科医・岐阜大学准教授)
著書「自閉症の原点」「人格障害論の虚像」「別れの精神哲学」ほか著書多数

日ごろご苦労なさっていることでなく、広い範囲を見渡すことでゆとりにつながり無駄でなく役に立つ話をします。
「自閉症」ということばつくりのきっかけは、1943年WWⅡ時代、アメリカの児童精神科医カナーが論文にまとめたことによる。
カナーは、ヨーロッパで生まれ育ち、ナチスドイツから逃れてアメリカへ移住した。
当時、ユダヤ系というだけで迫害された心理学者・科学者がたくさんいた。
カナーも英語ができないまま渡米し、内科医を経て児童精神科医になった。
だから、カナーはもともとはリベラルな人だったに違いないようだ。
第2次大戦中の知的障害児・者は巨大施設に次々と収容され、超過させてもまだ収容していた。
そのうち、長期の入所者を市民社会へ復帰させる運動が起こったが、
カナーはそれに対し、アルコール中毒や売春に陥る危険があると反対した。
数年後、「知的障害者有用説」が唱えられ、牡蠣の殻剥きやゴミ集めなどの軍需産業にも使役された。

なぜこんな話をするかというと、カナーの自閉症観と関連がある。
カナーは日々、知的障害児の診断をしながら、どうも雰囲気の違う子どもたちを発見した。
「賢そう」「記憶力が正確」な彼らについて、胸を躍らせて論文にしただろう。
この子どもたちは、弁護士やホワイトカラーの子息であることが多かったので、そうした市民層へアピールしていった。

ここで、知的障害と自閉症という分断線が引かれた。
知的障害者は相変わらず、施設へ収容するという処遇であるのに対し、
自閉症児にはちがう方法での治療教育が始まった。

一方、1950~60代のイギリスでは分断線は教育分野において、知的障害者を対象外のまま捨て置いた。その背景にあった資本主義政策はいい面とまずい面をもっていた。

さらに、70~80代には新たな分断線ができた。
1981年アメリカでは知的には平均以上の「高機能自閉症」ということばが出現し、
同年イギリスでは、ローナ・ウィングによって「アスペルガー」という用語が脚光を浴びた。
知能指数はもともと数量評価によるものだが、自閉症の質には高低の評価は存在しない。
「アスペルガー」は原著論文がオーストラリア語で書かれたので、1943年に発表されたものの、
注目を浴びず、児童精神科医でもあり、自閉症児の保護者だったウィング(夫は疫学者)が英語に翻訳したことで注目されることとなった。

しかし、どれを「アスペルガー」というのか?
ことばの遅れはない。2歳で2語文表出できるが、ことばの使い方に特徴がある。

なぜ、1981年に公表されたのか?
凡人とは違う「特殊な才能をもつ人」として取り上げられた。
欧米社会の変革によって(今では評判の悪い)「新自由主義」が台頭した。
つまり、政府を小さくして福祉や教育にお金をかけない「自己責任」が謳われた。
しかし、この制度では凡人のなかに困る人々も増えてきた。
モノ作りの徒弟制度が通用しなくなると鋳物工場が倒産した。
すると学校教育の段階で社会に役立つ人々とその限りでない人々との格差が生まれた。
こうして、凡人と障害者の分断線、高機能とそれ以外の自閉症との分断線が生まれた。
特別支援教育もカリキュラムに則った自己責任となり、
「高機能でない自閉症・知的障害者は知りませんよ」という線引きがなされた。

こうした世界の動きを知っておかないと苦しくなる。
日本では20年遅れて1970~80代高度成長期に自閉症の概念が輸入された。
それでも、注目されていたのは児童精神科領域だけで、一般の医学界や社会ではそれほどでもなかった。

知的障害者は高度経済社会から排除された。
当然、特徴に沿ったサポートも論外だった。
2000年以降、バブル経済が崩壊し、他の医学界や一般社会にも注目されるようになったのは、
「学級崩壊」の原因として、ADHD児が犯人扱いをうけたことだった。
高遠尚子さんの事件などで「国家社会は助けません」「自助努力」という新自由主義の台頭。

もう少し詳述すると、ADHD児には大きな誤解がある。
1歳年をとれば、その分多動は少なくなる。
多動がひどくなるのはワケがあって、落ち着かない悪化した環境におかれた場合だ。
怪我や危険な事物に配慮した物理的安全対策は必要だが、多動の対策は不要。

特別支援教育の対象(LD・ADHD・自閉症)は6.3%と言われているが、相当水増しされていると思う。
ADHDの出現率は、アメリカでは100人に1人、イギリスでは2000年に1人と40倍もの開きがある。
TEACCHプログラムが開発されたロースカロライナ州は白人富裕層の多い州であり、早期発見・早期療育という風土が根付いている。
アメリカの格差社会は甚だしく、アフリカ・メキシコ系では薬物で管理されていて誤診もあると思う。

イギリスもまた階級社会、生ぬるくない80代
特別支援というより教員の命をどう守るか、麻薬犯罪の防止策が優先される。
すなわち、特別支援教育よりも学校管理に経費が回されてしまう。」

ここまで高岡先生の講演を書き写していて、何だか気分が悪くなってきました。
多分、11月から慢性的に続く懺悔・罪悪感と自己嫌悪感です。。。

なぜ、自閉症関連、障害者関連の講演会に相変わらず出没しているのだろう。
人間に生まれた以上、四苦八苦するのは仕方のないことでしょうか?
なんだかジタバタしている自分をどうしたらいいのだろう・・・
なんだか明るくもっていくのも、空元気になってきた。

最後にまとめて、
「自閉症」だけでないさまざまな障害のある方々をいかにサポートするのかということは、
その時代背景や政治思想・経済・教育・福祉施策と不可分ではありません。
寧ろ、ひとりひとりが彼らをどのように遇することが、自分の幸せや身近な暮らしとつながっているということを高岡先生は諭してくださったように思います。
障害者にみる分断の歴史とは、格差を是とする選民思想が隠蔽されているということではないでしょうか。

やはり、悲しい現実ですね・・・
幸せってなんだろう?と足りない頭がグルグル回りだします。
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プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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