日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
快晴の運動会
2005年10月01日 (土) | 編集 |
今日から10月。
今日を迎えるための砂時計のような一日、一刻を
過ごしていたように思える。

昨日の今日の、月の節目は、わたしにはっきりと
「ターニングポイント」を告げていた。

昨日の朝、H保育所のロッカーを開けると、
所長からのプレゼントが入っていた。
「T先生、こんなことしていただいては困ります。」
「気持ちですから。まあ、・・・今後は他の仕事を探した
方がいいでしょうね。」
「今日一日、よろしくお願いします。」

朝礼では、8月中入っていた乳児室に休暇のI先生の代わりに配属された。
「今日でゆきんこ先生が最後になります。ひとことご挨拶をどうぞ。」
「3ヶ月間お世話になりました。事故のことではみなさんにご心痛を
おかけしたことを改めてお詫びいたします。また特に、所長のT先生には
いろいろとご配慮いただき本当に感謝しています。個人的には
わたしは、近くのK病院で生まれたこともあってこちらで過ごさせて
もらったことは、本当にいい思い出になりました。
ありがとうございました。」

9月の事故以来、3~4回は臨時に入室を指示されていたものの、
必ず管理職の目付けから逃れられずにいたが、
今日は隣のクラスの正職員が研修で抜けていて、
主任も遅出だったので、この3週間あまりの乳児室の物々しい
雰囲気は幾分和らいでいた。代わりにT所長がいつものように
とどめのことばを放った。
「ゆきんこ先生、十分気をつけてくださいね。」

乳児室に1週間ぶりに顔を出したわたしに、
8ヶ月のりんちゃんがニジニジとハイハイで寄ってきた。
わたしに辿り着き、ぎゅっと手指でわたしの腕を掴むと
「アア~」と声を出して目を大きく見開いて笑った。
おまけに涎つき。
その愛らしい姿にわたしも涎が出そうになった。

1ヶ月前には、彼の顔の識別の力はもっと
ぼんやりとしていて、毎日顔を合わさない間接的な顔には、
じーっと真顔で覗き込んでいたが、家族や親しい人に
対するリンちゃんの満面の笑みは、健常の発達を遂げている紛れもない証だった。

早速、リンちゃんを抱えてオムツ交換に、
朝の睡眠タイムで彼を乗せるとゴロゴロと乳母車を
押したり引いたりする。

朝おやつが終わって、園庭に、自分の身長よりも大きな
1.7メートル長方の薄い板を運び出し、運動会の練習。
わたしは代理で、レギュラーのアルバイトのI先生の役割を
請け負った。
リンちゃんを乳母車に乗せて園庭の中央に引っ張り出す。
本当はマーくんの乗った車も同時に両手で引っ張るはずだったが、
「わたしがこちらを引きましょう。」
T所長が駆けつけ、助け船を出してくれた。

リンちゃん、マーくんをマットに座らせて待機する。
乳児室の『学級委員長』紅1点の14ヶ月のYちゃんは
意気揚々とバーつき車を押して歩いていく。
足取りもしっかりと低い板の山を登ったり滑ったりを
楽しんでいた。
「いつものようすがわからないけど、今日の練習どうだった?」
「いつもは、誰かが泣いてるよ。今日は3人休みだけど、
落ち着いていてよかった。」

赤ちゃんたちはぶどうの木陰の砂場に移動。
その間に、道具を一式元通りに片付ける。
保育士の仕事は正に体力勝負の力仕事、つまり言い換えれば3Kだ。
保育士の中でも華奢なわたしだが、体育道具よりも軽くても
命ある子どもを手を滑らせて落とすわけにはいかない。

片付け終わったら、今度は赤ちゃんたちをひとりずつ
抱っこして砂場から、対角の乳児室へと運んでいく。

3人連れ戻した時点で、リンちゃんとYくんの食事の介助を任された。
「う~ん。もぐもぐおいしいね。」
初めてこの乳児室に入り、ごはんをあげたのもリンちゃんだった。
3ヶ月前の彼は、まだ自分でお座りもできなかった。
今日は、テーブルの前に座り、以前使っていたトッターに
小さい7ヶ月なるYくんが座る。

スプーンにのせたにんじんを見せてあげると、リンちゃんは
すっと右手で鷲掴みにして、口に運んだ。
Yくんも口のなかが空っぽになるとグズグズと泣く。
「わかったわかった。もっとたべたい!」
とスプーンを口に運ぶと、Yくんはもぐもぐと微細に口を動かす。

14ヶ月のYちゃんは保育士がテーブルを出すと、
いそいそと手洗い場に向かって、「アアア」と蛇口に手を出し、
保育士が来るのを待つようになった。
「はいはい。今お水出すね。」

先月は、この動きはあべこべで、
わたしが手洗い場で「おてて洗うよ、おいで。」
と声かけすると、Yちゃんは1ヶ月早く生まれたSくんの
後についてフラフラとバランスをとりながらも、
Yちゃんは「手を洗う」というお楽しみのために懸命に
歩いて手洗い場に辿り着いたのだった。

どういうわけか、Yちゃんもわたしのそばに寄って来て
自分から抱かれると嬉しそうにしていた。
こういう瞬間は、わたしはYちゃんの実母でもないのに、
心から可愛い~!!と思う脳内物質が流れていると感じる。
私自身は、彼女のように素直に甘えることは苦手なような
気がして、生まれてきたばかりの赤ちゃんひとりひとりの
仕草、初体験を身体全体で感じることの素晴らしさを
学ばせてもらっていたように思う。

Yちゃんは、姉御肌みたいで、自分より月齢の低いYくんの
頭をなでなでする。わたしは代弁した。
「Yくん、いいこいいこねぇ。」
13ヶ月のデリケートなTくんは、管理職が介入して、
ことばをかけると泣いて、なかなか気持ちを切り替えて泣き止まない。
そんなTくんだが、スヌーピーのぬいぐるみを「いいこいいこ」と
なでなでしたり、わたしがぬいぐるみを持って彼のお腹に
顔をうずめて「すきすきすき~!」と揺さぶるとくすぐったそうに
笑う。

反対に、21歳の母を持つ12ヶ月のマーくんは、
保育士の手を離れた隙の自由な時間になると、
ハイハイで自分よりも小さい赤ちゃんに近寄っていっては、
髪の毛を引っ張ったり、噛み付いたりしている。
その度に、保育士は、相手か、マーくんを遠ざけて、
マーくんに「噛んじゃダメ!メンメ!!」と叱ることが
1日のうちに何度となく増えてきた。
最終的には、彼はベッドの柵の向こうに「タイムアウト」に
処せられてしまう。

わたしは、お世話をしながらひとりひとりの赤ちゃんたちに呟いた。
「わたしのこと憶えていてね、っていっても無理か、ハハハ」

昼休みには、休憩室でわたしがお礼の印に持参したカステラと
和菓子を職員に食べてもらったが、所長を初め、何人かの
保育士たちにウケたのが、とろろ昆布でコーティングした
餡餅だった。

休憩室を出ると、主任から指示があり、雑用を頼まれた。
2時になると、職員室には地域の民生委員や児童委員が集まって
会議が開かれた。衝立の向こうから漏れ聞こえる会話は
「主訴は、子どもの発達の遅れと母親の育児不安です。」
「子どもよりも、お母さんの育児下手、育児ノイローゼが
この頃増えているようです。」
「障害児もよくこれだけ揃ってリストアップされたものですね。」


夕方4時には、乳児室から出火という想定で、避難訓練があった。
因果なことに、担任のS先生が
「ゆきんこせんせい、Yくんを抱いて逃げてください。」
と指示したから、サイレンが鳴る前に、他の赤ちゃんたちと早めに
園庭に出たのだが、そこでも、管理職の監視に晒されるのは
当然だった。

5時に主任の声かけで、少し気温の下がった園庭に再び出た。
3歳から6歳までの子どもたちが50人ほど勢ぞろいした。
子どもの前でも声が上ずって震えてしまう。
それほど、プレゼンテーションも下手糞なわたしを
一体どの同業者が「保育士」だと認めるだろう。
「みんなと一緒にけむしをとったり、どろだんごを作って
とっても楽しかったよ。
仲良くしてくれてありがとう。みんな運動会がんばってください。
それから、からだにきをつけて、怪我や病気をしないように、
先生たちのお話をよく聞いてくださいね。」
「はい!」
何人かの子どもたちの返事がバラバラと返ってきた。
「あ、はいっていいお返事がかえってきた!ありがとう。」
「それじゃあ、みんなは『ガンバリマン』の歌を歌って
プレゼントしようね。」
みんなが一生懸命に歌ってくれるのが感動的でまた泣いてしまう。

挨拶が終わると、5歳クラスの女の子たちを中心に
わたしにハグで別れを惜しんでくれた。
その中には不思議と、皆無に近いほど会話も遊びもしなかった
Aちゃんもいた。
「Aちゃん、どうもありがとう。」
3歳クラスの子どもたちは花束のなかを覗き込む。
「このお花なあに?」
「薔薇だよ。」
「こっちは?」
「カーネーション、ママにプレゼントするお花だね。」
「ちょっと持ってもいい?」
「いいよ。写真とってあげる。」
すると、周辺の子どもたち10人ほどが集まってきた。
「待って。写真取る人、順番に並んで。」

5時15分に乳児室を出て、わたしは身支度や、荷物の整理をして
30分後に全体懇談会が始まるのを待った。

10日ほど前に懇談会の案内をしていたが、出席した保護者は
15~6人だった。内訳は、乳児や障害児の母親だ。
所長が、事故の経過と瞬時の対応、今後2度と同じ事故が起こらないようにするための万全を期した対策について説明した。
わたしの名が挙げられて、経過を淡々と語るシナリオがまた
映像化されて再現される。涙が滲んできて、今度はなかなか
止まらなかった。
質疑応答もなく、懇談会は20分以内に終わった。
すっかり日が暮れた園舎の1室1室を廻って、職員に最後の挨拶を
する。
Yくんを抱っこしたお母さんにも
「今日で最後になりました。改めてお詫び申し上げます。
お父さんにもよろしくお伝えください。」
「せんせい。もうそんなに気にしなくていいよ。Yは元気にしてるんだから。」

「お世話になりました。身体に気をつけてください。」
一人一人に挨拶したが、その反応もまちまちだった。
3ヶ月間この保育所のお荷物だったわたしに対して
内心はやれやれと思う保育士も数人いるのは知っていた。
所長にも挨拶した。
「うん。わたしもいい勉強をしました。仕事はきっと
見つかりますよ。」
「はい。ありがとうございました。」

いよいよ、門を出て今晩、最後の目的地に向かった。
自転車を市街地に停めて、プラットホームで乳児室のI先生と落ち合った。
電車で3駅向こう側のニュータウンで下車し、ある料理屋で待ち合わせた。
10分ほど経って、小走りで担任のS先生もやってきた。
運動会1週間前にもかかわらず、わたしを気遣って、
送別会を開いてくれた。
「わたしのせいで、先生たちにも辛い思いをさせたうえに、
こんなことしてもらって、申し訳ないよ。」
「いいの。事故のことは抜きにしても、ごはん食べに行こうって
言ってたし、運動会を待ってから辞めた先生をわざわざ誘うのも
どうかなと思ったから、ちょっと早まっただけよ。」
私より2歳年下の2歳の男の子の母でもあるS先生も、
幹部のわたしの処遇に諸々の思いを抱いてくれていた。

「旦那とも話したのよ。もしうちの子がそうだったらってね。
旦那は、無事だったらよかったなでそれでいいじゃないかって
言ったよ。」
「わたしの主人も息子を自転車から落としたことがありました。
でも、元気で成人しましたから。」
「今朝も所長に言われたわ。やっぱり仕事を探しなおした方がいいって。去年も失業したとき、職業カウンセリングのテストを受けて、
適職は別の職種を言われたから、ゆっくり考え直そうと思うの。」
「いったい何?」
「何だと思う?」
「看護婦?」
「ううん、図書館の司書」
「ああ!!向いてるよ、絶対!」
「やっぱり・・・・」
でも、子育てを終えた年配のI先生がこう言ってくれた。
「うちのクラスの赤ちゃんたちは人見知りがひどくて、
もっと長い時間接している非常勤の保育士さんたちにも
未だに泣くのに、ゆきんこさんが初めてきた日から誰も
泣かなかったじゃありませんか。子どもに好かれているあなたは
それにもっと自信を持ってもいいですよ。今回はいろんなことが
重なっただけで、本当にやりたいのだったら、この町で
できなくても、他の町でもできますよ。」
「ありがとうございます。そういっていただけて、どんなに
励みになるでしょう。」
「私は、去年まで、幼稚園で用務員の仕事をしていましたけど、
赤ちゃんをお世話するのと同じようにお花を植えたり、育てたりするのも楽しかったし、それを見ていた子どもたちも、わたしと過ごしたことが一番楽しかったと言ってくれて、担任の先生ががっかりしていたんです。」
4人は一斉に笑った。

「そういえば、H保育所ではわたしはそんな感じでした。
毎日、今までにない、いろんな初体験もさせてもらいました。」

舌鼓を打ちながら保育や職場の人間関係、恋愛に結婚観の話にまで及んで、10時半に終わった。
「ゆきんこさん、メールアドレスを教えて。またいつか会いましょう」
「本当にありがとうS先生、今まで何人かのクラス担任と組んできたけど、そんなふうに言ってもらったのは、先生が最初で最後かな。」

11時を廻って帰宅してメールを確認したら、4月から6月の3ヶ月を過ごしたK保育所の同僚だったTさんからメールが入っていた。
彼女は、わたしが9月末日で契約を終えることを憶えてくれていた上に、
10月1日は、運動会だとも書いてあった。












わたしは、寝坊してK保育所に自転車で向かった。
フェンスの外側に自転車を停めて、人だかりの家族連れの隙間から
垣間見えたのは、4月から6月の3ヶ月を共にしていた4歳児クラスの
子どもたちの競技する姿だった。
マットでの前転、鉄棒の前回り、丸太のぼり、最後はフープの連続跳び
どの子も家族に見守られながらがんばっていた。

それから、玉入れ。
目に留まりやすいのは、集団の中で良くも悪くも違った動きを見せる子だ。
加配で担当していた発達障害のYくんの存在を認めるのはずっと後で、わたしはTくんをじっと見つめていた。
Tくんは、マイク音声の指示や他の子どもと同調しようとする様子もなく、立ったまま一人で玉を投げていたのだ。
春から夏にかけて、わたしは毎日彼の喧嘩の仲裁に追われていた
ことを思い出さずにいられなかったし、恐らく知的には遅れていない
Tくんは、ある意味で野放図にされているものと推測した。
「ADHDかもしれない」

一方、目立たない大人しいYくんは、リレーの先頭を切って走った。
Yくんの前を担任のK先生が先導していたが、K先生はことばもかけずに
Yくんの手を引いて立ったり座らせたりしている。
Yくんは、ことばに少し遅れがあって障害をもっているには違いないが、わたしがかかわっていたときから簡単な指示語は聞き分けて
行動できる子だった。
でも、何を言っても思っても仕方がない。
わたしは、今日、何度目の肩書きのないフェンスの向こう側に立つ通行人なのだから。

「せんせい?」
「あ、Kくんのお母さん?わたしのことわかりましたか?」
「はい。さっきから似ている人がいると思ってました。」
「Kくん、がんばってますね!N先生が来てクラスは変りましたか。」
「いいえ、変りません。ゆきんこせんせいは今どこの保育所?」
「H保育所です。遊園地のとなりの。今日はここの先生にメール
もらってきました。」
「なかに入りますか?」
「いいえ。恥ずかしいからこっそりここから見ます。」

正午にフィナーレの親子で踊るダンスが始まる前に、
子どもたちがトラックに沿って整列した。
「あ!ゆきんこせんせいだ!」
Mちゃんが偶然わたしを見つけた。
「え?ゆきんこせんせい?どこどこ?」
隣に並んでいたEくんやAちゃん、Hちゃんがキョロキョロと探している。
「Eくん!Aちゃんこっちだよ!Hちゃん!」わたしは手を振った。
「ゆきんこ先生!」
「ずっと見てたよ。みんながんばってたね!」

誰にも気づかれないと思っていたのに。
子どもたちには不思議な神秘性を感じることがある。
保育士たちには、プログラムを無事遂行することに必死だから、
当然、観客を眺めている暇も余裕もありはしない。
ましてや、そのまた向こうのフェンスの向こうになんて。
それに気づいて、わたしのことをしっかり憶えていてくれた!

フェンスの外から子どもを見守るということ、
クラスをさりげなく出入りしてかかわるということ、
肩書きのない肩の凝らないこのスタンスが
わたしの未来を暗示しているような気がした。



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2005/10/01 19:00 | 保育 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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