登龍門

GWは白い忍者隊に変装し、5月4日までフジパンのバイトに勤しんだわけだが、
5日も経つと、単純なチマキ巻き巻きの作業中であっても、そこには不思議な連帯感や、人間模様が
オペラントに生起してくる。

最終日には、200名の忍者隊がベルトコンベヤを挟んで黙々とではなく、ざわざわと談話しながら、
しかし、手作業のスピードはそのままに大量のちまきが両脇のベルトコンベヤに流され、袋詰めが増産されていった。

3日と4日はペアが変わって、私は18歳のメガネの少女Aさんと向かい合って作業することになった。
こんな出会いってあるんだな。
Aさんにとっては、生まれてはじめてのバイト経験。
それまで不登校とひきこもり、昼夜逆転PCに没頭する6年間を過ごしたというAさん。
不登校になったきっかけは、どうやら心因性のストレスだったらしい。
小学生の頃から朝、登校する身支度をしようとすると、鼻血が出たり、頭痛・腹痛に苛まれたという。

「どうして、このバイトしようと思ったの?」
「なんとなくです。そろそろ出てみようかな~・・・と。」
「でも、こんなに大勢の人がいて、こんな忍者みたいな格好だったら視線が気になるんじゃない?」
「そうなんですけど、気にしないようにしてればなんとか・・・。」
「本当は、誰もそんなに人のことなんて気にしてないし、見てないんだけどね。」
「そうなんですよね。でも、どうしてだかそう思ってしまうと不安になって、
そうなったら、外へ出るのもいやになっていました。」
「家にいたらいやなことはないかもしれないけど、1円にもならない。1時間800円の時給だけど、
5日間まとめて3万2000円!」
「まとめたらすごいですね!」
Aさんの笑顔がなんともいえないゆきんこのご褒美になった。

「私がはじめてバイトしたときは、郵便局で時給450円だったよ。」(いつの時代?)
「じゃあ、結構いい時給ですよね。」
「何に使う?」
「お父さんとお母さんのプレゼント。」
「いいね!」

ここで、ABA(応用行動分析学)被れのゆきんこは思い出す。
壇上のI先生が何気なく、聴講者の笑いを取ろうとする水面下の板についた努力と優しさを。

Aさんは奇しくもイヌ2匹と猫1匹を飼っていて、わんわんコミュニティの定例会をしている最寄り駅付近に在住しているらしかった。
そこで、ゆきんこは抜かりなく、次回の定例会にAさんを案内した。
「気が乗らなかったら、無理しなくていいからね。」

迎えに来てくれたお父さんの車の助手席からAさんが笑顔で手を振ってくれた。

他にも、派遣労働者の過酷な現状や、昼食時に隣り合わせたパート労働者の方々の悩みをお聞きした。使い捨てグッズは何かと生活を便利にしたのだろうけど、その延長上に使い捨て労働者までもが
増産される時代になったとしか思えない。
比較的、フジパンのスタッフは臨時バイトの皆様に丁重な恭しい態度で遇してくれた。
季節の臨時バイトは他にもクリスマスケーキなどもあるらしい。
最終日のお土産には、名古屋工場のピザパンとあんドーナツをもらった。

5月5日の子どもの日は午後からPさんと過ごした。
雨が降ったりやんだりで、Pさんと家のなかでひっそりとあんドーナツを食べた。

GW最終日の6日曇り空の朝から、プチドライブ。
目的は、県境のショッピングモール街で映画鑑賞すること。
前日に、ネットで調べて「レッドクリフ」に決定した。
その運転席のお相手は、もちろんPさんといいたいところだが・・・
20年来の旧友Hさんだった。
レッドクリフは、友人の前評判で見てみようと思ったのだけど、
そもそも、スポーツと戦闘シーン全般に興味を全く感じないゆきんこ。
2時間30分の超大作は、少しくたびれてしまった。
話題は、Hさんと同業だった共通の知り合いの学校教諭があまりの心労の大きさにこの3月末で退職したことだった。
Hさんは、少し落ち込んだようだった。
「あんたも、結婚してもいつまでも実家にいちゃダメよ。ちゃんと仕事見つけて自立しなくちゃ。」
「もちろん、そのつもりだよ。」
「あんなに障害児教育のことを勉強したのに、なんとかならなかったのかなぁ~」

フジパン工場でも、卑近な学校関係者の窮状を外聞だけでさえ、恐怖に慄いているのに、
やっぱり、もう一度、汚れた洗濯機の渦の中に戻る勇気はまだ回復しそうになかった。

7日も終日雨で、PCに向かっていたらあっという間に夜が来ていた。

そして、昨日8日の早朝を迎えた。
久しぶりにベージュのスーツに着替えて、大阪の南森町まで出かけた。
あきらめかけていた4月下旬、3月に応募していた職業訓練校の適性試験と面接の合格通知をもらい、入校式の当日を迎えた。
受付カウンター越しに、訓練校の代表者らしきメガネの背の高い男性が気さくに声をかけてくれた。
「前にどこかでお会いしましたね?面接だったかな?」
「そうでしたか?覚えていただきありがとうございます。今日からよろしくお願いします。」
勢ぞろいした訓練生は、50名。その殆どが女性で、なかには身体に軽い障がいをもつ男性の姿もあった。
訓練生といえば、聞こえがいいけどみんな失業して困っているなかにも、
「なんとかここへ入校できた~」というひと安心感が漂っていた。

右隣の背の高い気立ての良さそうな女性は、私に親しく話しかけてくれた。
11階建ての背高の雑居ビルは、学校法人に比べて敷地面積も狭いし、トイレも少ない。
簡素な入校式が終わり、10分間休憩のうちに各階に1箇所しかないトイレにも順番の列ができた。
隣のNさんとエレベーターに乗り込んで階上にあがった。
「トイレも就職先も限定されていていやになっちゃうね。」
「ホント!」

事務職への再就職を目指す人々のキャラや人間模様は楚々とした小さな親切で済むことが多い。
対人援助の福祉職ほどねっとり、微に入り細に入りの関係性は余計なお世話のようだ。

スクールを後にして、帰りがけに大阪天満宮へと寄り道してお参りした。
2005年、大学院合格を果たした正月には、Oちゃんと初詣して拍手を打った場所があった。

登龍門

当宮は天保8年(1837)の大塩の乱で本殿及び多くはその当時から東西唐門西側に龍の図柄の燈籠がありましたが、戦前の金属の供出でなくなり、台座を残すのみとなっていました。
菅原道真公1100年大祭記念として篤志の方々の奉納により、昔ながらの図柄の燈籠が再現されることとなりました。
屋根の部分は威勢良く跳ね返る鯉の胴体には龍が巻き上がり、逆巻く水面から天空をめざし
舞い上がろうとしている雄姿は一見奇異に見えますが、
この唐門こそ登龍門そのものであります。
というのも、龍門は中国の黄河流域で鯉などがその下に集まり、多くは登り龍となるという故事に基づいています。
それが転じてそこを通り抜ければ、必ず出世するといわれる関門の意となります。


この故事というのは、「こいのぼり」にも因んでいて小児科病棟のプレイルームで子どもの日のお楽しみ会を催し、入院していたお子さんたちや看護実習生の方たちの前で紙芝居を披露したことも思い出す。
4年前には、Oちゃんと並んで大学院への入学を祈念し、胸を膨らませていた。
その登龍門の前で合掌し、再び念じるしかない。
「全ての入校生の努力が報われ、望ましい進路が開けますように」

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コメント

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Re: 返信です。

怪しいコメントにどうしたらいいのか、拒否の仕方がわからず困っています。
ヨガのご質問ありがとうございました。
私が通っているスタジオでも精充(せいじゅう)呼吸を念入りにしています。
3ヶ月目に入って、1番から5番までのポーズもとれるようになり、でんぐり返りも丹舞もできるようになりました。
インストラクターには、丹田が育ってきてよくなってきたとほめてもらいました。
確かに、入会時よりも気持ちが落ち着いて会員さんたちとも仲良く楽しくがんばっています。

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