ヴィゴツキーの結論

週明けの実習現場で最終週の第4週を迎えた。
出勤前の天気は爽快な9月初旬の陽気と報じていた。
少し冷え込んだせいか、ぐっすり熟睡したわりには寝覚めは悪く、眠気が残ったまま起床した。
それでも、戸外へ出ていつもの坂道を自転車で滑り降り市街地を通り抜けると自然、清清しい気分になった。

しかし、ただならぬムードが漂う文書窓口のスタッフの面持ちが気になりつつ、実習生らしくいつも通りにご挨拶。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「大丈夫ですか?お顔の色がよくありませんね。まだしんどいのでは?」
「ええ、、、大丈夫です。」

実習の初日にオリエンテーションで個人情報保護についてのレクチャーをしてくださった
生後2ヶ月の女の子のパパである総括のO氏と文窓口担当のDさんがなにやらひそひそ話。

古今東西、ありとあらゆる人間関係が複雑でややこしく悩ましいのは、「仕方がない」?
いえいえ、仕方がないだなんて心理学者は単純にカタをつけないだろう。

「だいたいわかったやろ?」
「はい。」
先週1週間で、やっとこさ文書窓口の主要な流れはなんとか掴めた。

「でも、本気でこの業界で働きたいんやったらこの部署よりもせっかく訓練校で勉強した資格試験をそのまま活かせる部署をお薦めするわ。」
「そうですか・・・」

この仕事も奥は深いので究めればそれなりにやりがいを持って(人間関係に目をつぶれば)従事していけそうな実感を覚えていた。
とりわけ、この職場はとてもばかでかい規模の人々が入り乱れてやってくる。
同じ職種の女性部隊は100名以上はいるし、他にも多種多様の職種の人々がそれぞれのユニフォームに応じたそれぞれの役割を果たしていた。
その独特の組織運営が何といってもこじんまりした従来の保育・障がい者関連の施設とは違ってある意味閉塞感を感じさせていなかった。

それで、転記して残しておきたかったのは、昨日に引き続きヴィゴツキーのことばです。

P245  第4章  結論

われわれは、この定式化を充分な明瞭さをもって今まで述べてきたすべてのものからどのようにして行うのかについて、福音書の定式であれ、ゲーテの定式であれ、われわれが強調しなかったどのことばであれ、そこに立ち止まることはできない。しかし、これらすべての定式は、グーツマンの定式を含めて必然的に継続する必要性を認めないわけにはいかない。それらは始めに何が存在したかについて述べている。しかし、何がその後にあったのか、始めは始め、つまり運動の出発点に過ぎない。
発達の過程そのものが、出発点の否定、始めにはないが発達の道のりの最後に位置している高次の行為の形態への運動をそれ自身のなかに必然的に含んでいる。それはどのようにして実現されるのか、この問いへの解答の試みがわれわれをしてこの書物を書くようにしむけたのだ。われわれは、その試みの延長として言葉がどのようにして行為に基づいてそれ自身知性化し、発達しながら、行為を高次の行為に意志の刻印をどのようにつけるのかを示そうとした。しかし、われわれは、簡単な定式で一つの位相でこのことすべてを表したいのであるから、われわれは、次のように述べることができよう。もし、発達の始めに言葉とは無関係な行為があるとするなら、発達の最後には行為となりゆく言葉がある。人間の行為を自由なものにする言葉が。
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