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一昨日23日の午後。
約1年ぶりにO大学中之島センターへ赴き、教育実践学フォーラムに出席してきました。
因みに、最寄駅の苗字である中之島けい子さんが5代目のおけいはんに就任して3か月。
いつものK電車に乗るとドキッとしたことがありました。
偶然にも、2年前に支援員をしていたときの利用者の男性と乗り合わせたのです。
しかし、就業規則に則り、辞職した後は一切、職務外のかかわりをすることはできません。
男性は他の見ず知らずの乗客と同じく降車して、無味乾燥にすれ違い、遠ざかっていきました。

この建物に出没し始めたのは、2005年でした。
それから大学院を修了してもうすぐ5年。
未練がましく出没しているのは、心ある同窓生だったK大学講師K先生のお誘いを受けたからです。

身構えて、到着してみたら開演1時間前で余裕ありすぎました。
おかげで、机つきの良い席をキープして遅れて参加するK先生の席も合わせて陣取りました。

定刻になり、研究主幹のM先生の挨拶が始まりました。
今回のゲストスピーカーは、大阪芸術大学初等芸術教育科 田中裕美子先生で、
テーマは「読み困難の理解と支援」でした。


田中先生は、言語聴覚士を養成する講師で、
この専門分野(言語病理学)である3つ領域、すなわち、
1.聞こえの問題(聾・聴覚障害)
2.発語の問題(失語症などの言語障害)
3.ことばの問題(乳幼児期からのことばの発達)
のうち、3が専門で「子どもの発達に応じた教育実践研究」を課題とされている。

10年前にアメリカコロラド大学より日本に帰国され、日本を拠点にアメリカの家族との往復生活を送っておられるとのこと。
現職では、ディスレキシアと言われる読み書き障がいの子どもたちを対象に、とりわけ読みの指導に献身されている。

担任教師が、読みに問題があると思う児童は、読み書きだけが問題ではない。
大抵は、授業に集中できない、学習が定着しないが興味のあることはできる、私語やひとり遊びが目立つなど、学習態度に問題を感じるケースが主になってくる。


Dyslexiaとは、decording(音と文字の変換困難)が主症状であり、
先天性の言語発達障害の1種と分類されている。
しかし、対象となる子どものクラス内での喧嘩や問題行動に負われ、読み書きの問題は一見わからない。
小学校低学年のうちは、こだわりや対人関係の問題が中心で、4年生ごろに落ち着き、学習指導の問題が浮上してくる。

読み困難の児童の発見のために、田中先生が独自のスクリーニングテストを考案し、実施した。
田中先生によれば、このスクリーニングテストの実施依頼は多いものの、スコアの結果だけではわからない。
その後、学校の体制が整わず、人事異動などで全く本児の特別支援教育に生かされないことを嘆いておられた。

テストの様子を映像化して細やかに対象児の読みのつまづきの様子を観察し、汲み取る指導者のセンスが要請されると強調されていた。

そして、子どもに合わせた指導法
・できないことは無理にさせない
・時間に余裕をもち、できるようにさせる
・読んであげる、読み仮名をふる
・知的レベルに合った教材を選ぶ
ことが大切である。

まとめ
読み書き困難児へのアプローチは、
日常コニュニケーションや遊びを通してなんとかなることはない。
低学年では本児の困り感がないが、やがて子ども自身のメタ認知が自尊感情を低めていく。
なかなかブレイクスルーできない子どもたちを早期発見し、読解ストラテジーの指導を進めることが重要。
「読んでわかる感」「自尊感情」と自立的学習の指導が肝要であるとまとめられた。

こんなフォーラムの内容といい、講師の田中先生の辿った道といい、
とても他人事ではありませんでした。
過ぎさった子どもたちとのかかわりが脳裏に蘇り、それは自分の記憶と重なり合いました。

このディスレキシアという専門用語。
すっかり耳慣れたことばとなりました。
恩師のT先生が先日1月半ばの講演会でも成人当事者の方との対談をされていたのを聴講してきたばかりでした。
それから、2月の初めにNHKのニュースウォッチ9でも、特集でその模様が放送されていました。


でも、未練はありません。
いえ、あるから今の私は役立てられないとわかっていても飽きもせず、聴講しているのです。

現行の教育界は、ベテラン教員の殆どが、定年までわずかで、
あと数年もすれば、新卒の若い先生が取り残され、
脂ののった中年期の教員が空洞化することが懸念されています。

仕方がありません。
20年前には、ごま塩頭の先生たちは働き盛りで有り余っているし、
新人教員の養成などどこにもありませんでした。

そして、働き盛りと言われる中堅世代になった今、
私のキャリアを採用する教育現場などやっぱりどこにもありません。

「もったいないわね、あなたの経験なんとか活かせる場所があればいいわね。」
K大学で教鞭をとりつつ、博士課程で論文作成中のK先生が宥めてくださいます。
「もう今は何の関係もない人生ですから。贅沢は言ってられません。何だってやって生きていきます。私はただ、先生のお誘いが嬉しくて来ているだけなのです。」
「そう仰らず、つながっていましょうよ。」

丸福珈琲館で偶然再会したもう一人の行政関係者の同窓生と談話しながら、
決して上から目線でないK先生の優しい一言が私の拠り所であり、慰めのように思われました。

当事者児童の予後は、読み書きが改善する例はあまりありません。
ニュースで流れた成人となったI氏の悔し泣きの姿が焼き付きます。
「勉強は好きやったけど、読まれへん、書かれへんのが恥ずかしかった。ほんとはもっともっと勉強したかった!!」

先生たちは一体、将来長い大人時代の困難を想定し、目前の子どもに対してどれだけの責任を果たしているでしょうか?
私自身の戻ってこない半生(反省)も含めて、いくら慮ってもこの悔しさは計り知れません。
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