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2013/12/04 (Wed) 伯母上の極楽浄土
昨年も突然、東京に赴く出来事があったのですが、
今年も11月の終わりから師走にかけて、1泊2日の東京へ臨時に出かけることになりました。

11月29日の夜
予てから、元の会社の同僚のおばちゃん仲間を誘ってサイゼリアでストレス解消の食事会に興じ、
珍しく午後11時を廻って帰宅し、郵便物を確認しました。
それから何気なくホテルの封筒に入った青いインク文字のお便りに、
てっきりDMとばかり思い込んで1~2日放置していたのです。

そろそろ寝ようかなと何となくその封筒を裏返し、差出人を見てみると、
あら?
住所は東京都
遠い記憶の父方の従兄の名がそこにありました。

書面は、父の姉である伯母の訃報を知らせるものでした。
12月2日通夜と3日には告別式を行うため、是非参列してほしいとのこと。

はてさて、私の場合、
両親が既に6歳で離婚し、父方の親族は他人も同然。
しかし、父の姉にあたる伯母の存在は記憶の奥底に眠っていました。

離婚後も私が成人するまで両親は共に暮らしてきましたが、
それは、父に全く経済力と社会人としての技能がなく、非常識な眉をひそめたい数々の問題行動。
仕方なく、母が私の父親を乞食にすることはできないと、
断続的に父からの暴力に耐え忍びつつも、家庭内離婚状態で、
父を扶養してきたのでした。

私にとっては、どこへもでかけていかない父というより迷惑な子どものような存在でしかなく、
母は大変苦労して、どうしようもない父と私を扶養してきた経緯がありました。


従って、父の生家の家族が、もう少し母を支援してくれてもよさそうなものでしたが、
子ども時代から冷遇されて育った父には、最早帰る故郷もなく、音信不通で消息もわからぬままになりました。

そんな中、父が慕い、また父をかわいがってくれたのが伯母だったのです。
私が子どもだった頃、伯母の嫁いだ雪国のお寺に、夏休みに訪れ、
実際、それが今生での最後のお別れとなりました。


当時、学生だった従兄が帰省していたので、私は年の離れた従兄に遊んでもらい、
伯母にもらったオルゴールとたぬきのぬいぐるみが宝物になりました。

これはいけないと、
深夜にメールを打って、翌日には父を訪れ、手紙の文面を読ませました。

「姉さんが死んだのか。これは行かないといけないな」

年老いて、室内をうろうろするのがせいいっぱいの要介護2の父を連れて
東京まで行かなくちゃ。
その時点で、ストレスはマックスになりました。

すぐ父に荷造りさせて、日曜日は喪服などの身支度で翌日の出立に備えました。
翌12月2日には、まず勤務先に電話を入れて2日間休む許可を得ました。
次に父のケアマネージャーに車椅子の貸し出しを要請しましたが、
夕方にならないと手配できないとの返事で、このことが、東京までの往復の道中を険しくさせました。

杖も持ってこなかったので、いきなり親とはいっても、要介護の人を旅に連れ出すのは、
かなり至難だったなと振り返ります。
それでも、アイソン彗星のごとく、この機会を逃せば、もうあとはありません。

タクシーを何回も乗り継ぎ、切符を買って改札を通り、ホームのエスカレーターまで歩き、
なんてこともないこの行動が、これほどまでにしんどいものかと、
お年寄りの皆様の辛苦を味わい尽くした道程でした。
大勢の人々が行きかう新宿の横断歩道がすぐに赤信号に変わってしまい、とても長く遠く感じられました。


そんな中でも、久しぶりに新幹線にも乗れて、童心をあらわにした父。
エレベーターや電車の乗り降りでは、道を案内してもらったり、居合わせた通行人の方々とおしゃべりしたり、
葬儀場の若い係のお姉さんに恭しく遇していただき、かなりお世話になりました。
父は終始「う~ん、東京の人たちはなかなか皆親切だな」
「これも姉さんのおかげだ」
と疲れた中にも、楽しんでいました。

午後3時半。
新宿駅から最寄りの大きなホテルに到着し、車椅子を借りることができました。
さらに小1時間かけて葬儀会場まで移動して、夕方5時過ぎに本家本元の伯母の遺族の方々に対面する機会がやってきました。

なにせ、従兄のSさんと実に36年ぶりの再会です。
そして、もう一人の従兄であるSさんの兄のAさんとは実質初対面でした。
当然、2人の従兄の奥様方と成人された子どもたちとも初対面。

「初めまして。でも私、伯母さんに似てるでしょ?」
「生前、ずっと叔父さんに会いたがっていたんだよ。孫たちにも関西に親戚がいることは話していたんだ。
今年、生家にゆきんこちゃんから年賀状が届いていたと聞いて手紙を出して、やっとつながった。」
「私も去年、父が伯母様に会いたがっていて手紙を出したんです。でも、宛名不明で戻ってきて途方にくれていました。」
「そうか。。。それが無事に届いていたら、生きているうちに再会できたかもしれないね。」

伯母は他界するまでの20年間アルツハイマー型認知症で、人格も崩壊していたそうです。
無理もありません。
20歳で嫁いで、ただお寺を守るために献身しただけの生涯でした。

祖母、伯母、私と流れている遺伝子を想像するに共通点が浮かび上がってきました。
伯母は面倒見がよく、高校教師としても活躍していたこと。
筆まめだったこと。
同じところにホクロがあること。

棺の中の亡きがらに
「伯母さん、父をかわいがってくれてありがとうございました」と花を手向けました。
どうか極楽浄土で安らかでいてください。
遺族だけの家族葬はシンプルでからりとした雰囲気で終わりました。

12月にしてはうららかな小春日和の告別式でした。

後日談としては、
午後3時に帰路に着いたのですが、電車を何本も乗り過ごして帰宅が10時を廻り、クタクタになりました。
翌朝は、腰が動かなくなり、4時30分に起床できませんでした。
明日はがんばって、職場に復帰します。

喪服のおつきあいよりも、普段着の気楽なつきあいがやっぱりいいですね。
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お疲れ様でした。

v-218
2013/12/11 17:53 | URL | 小林 一弘 [ 編集 ]

小林さん、ありがとうございます。
もうすぐクリスマスですね。
なかなかブロク見てなくてすみません。
2013/12/14 22:36 | URL | ゆきんこ [ 編集 ]









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プロフィール

ゆきんこ

  • Author:ゆきんこ
  • 2005年8月23日にデビューして、ブログ歴12年目になりました。
    開設当初、障碍児加配保育士を経て、紆余曲折の3年間の夜間大学院の日々を綴ってきました。
    修了後も、失業と再就職を繰り返し、どうにかケセラセラでやってきました。
    出会いと別れの中で次第に専門分野への執着を捨て、遠ざかる日々です。

    独身時代の趣味は、旅行、水彩画、ハイキング、心理学系の読書、リコーダー演奏などでしたが、兼業主婦になってからは家事にまい進、心身とともに衰退しています。
    かなり前に流行った「どうぶつ占い」では「人気者のゾウ」ってことになってます。

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