日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
こころの電話相談室開設10周年記念講演会
2005年11月05日 (土) | 編集 |
今週は、それなりに多忙スケジュールのため、日記を
ゆっくり書いている時間がなかった。

失業中というのは、人生のモラトリアム(猶予期間)でもあり、
尚且つ、発達心理学的に言えば、わたしは「人生の正午」あたりに位置している。

また、10月中は、地元で度々の事件事故が相次いだり、夜間大学院の
レポートや、その他の諸活動があったのだが、
それをブログにとてもまとめきれなかった。

昨夜は、久しぶりに学生時代の友人2名と会って終日を過ごした。
ゆっくり話をしたいところだが、
2児の母であるTちゃん宅に集合して、わたしたちは、バラバラな
行動をしていた。
Tちゃんのパソコンの調子がずっと悪くて、IT業界で活躍してきた
Oちゃんが、そのメンテナンスをするついでに、
わたしにも声をかけてもらった。
11時30分ごろ、わたしはTちゃん宅に着いたが、
それから、9時過ぎまでTちゃんの二人の子どもたち相手に
専属保育をしていたようなものだった。
失業中のわたしには、保育所での保育サービスとは違う
プライベート領域の友人の子どもとのかかわりは、
年に1~2回の付き合いでも誕生直後から知っているという格別の面白さもある。

9時にようやく開放されて、一仕事終えたOちゃんとスターバックスカフェで談話した。

昨夜帰宅したのは、11時半で、そこからブログを書くはずが、
わたしは、Oちゃんに話を聞いてもらってから、
しばらく自分の身の振りかたについて考えた挙句、
I先生にメールを差し出すことにした。
送信したら、もう5日の3時半になっていた。
4時前に、就寝したが、8時のモーニングコールで起され、
寝覚めのすこぶる悪い朝を迎えた。

今日は、こころの電話相談室開設10周年記念講演会が
ある公共施設で10時から催された。

受付でもらったパンフレットには、来賓あいさつに
市長の名前があったが、恒例のように、
代理者が来るのだろうと思っていた。
2003年10月から研修期間を経て2004年の6月に認定式を修了し、
久しぶりに再会した同期の新人相談員のKさんと臨席しながら、
近況を話していると、想定外に定刻寸前に市長がお出ましになった。

わたしは、前から2列目の最前列に座るように言われたので、
もし、スタッフの勧めがなかったらこんな厚かましい位置には
座らないのだが、今日は臆面もなく市長や福祉協議会会長、
精神保健推進協議会会長、市の福祉部長代理などの来賓諸氏の
顔をまじまじと拝察することが十分にできた。

はじめに、開設者で元市会議員のU氏の挨拶
「市長と相談員の努力のお陰で今日の10周年を迎えました。
感無量です。」と涙した。

次にN市長の祝辞
「10周年おめでとうございます。
ストレス社会のなかにいろんな施設がありますが、
そこには人間愛が必要だと思います。
これからも相談員の皆さんには、社会を変えていく努力を
続けてほしいです。」

T氏「H市のメンタルケアのニーズは、増加しており、
年間相談数は、3720件にも昇ります。
相談員の皆さんには、まず自己研鑽していただき、
仕事や家事の両立とは大変だが、『わたしがいなければ』という
使命感で取り組んで欲しいです。」

F氏「U氏のご尽力と相談員の努力に深く敬意を表します。
私は電話は嫌いで、携帯も持っていません。
電話に出れば、相手に応対するので、自分の時間を中断される。
こころの電話が流行するのも、医者が必要なのも、
本当は喜ばしいことではなく、悲しいことです。
起源は、キリスト教文化における神の御前での
『告白・懺悔』が変形したものがこうした相談なのですが、
それは、心と心をつなぐ人間関係の希薄化の表れでもあります。
この長引く悲しみを多少なりとも癒すことが大切です。」

11時から第2部の講演会
「こころを耕す」
講師は、世界遺産 奈良薬師寺副住職 山田法胤師
師は、昭和15年岐阜県本巣郡根尾村生まれ
中学3年生で、薬師寺に入る。
昭和39年、龍谷大学仏教学科卒
主な著書「薬師寺」「仏陀の風景」「生活に生きる仏教語」など。

山田和尚は、まずH市のいにしえの奈良時代の歴史に触れる。
縁の第26代天皇の3番目の末息子が29代欽明天皇で、
7世紀のその時代、仏教が朝鮮から伝来した。
このHという土地は古来から栄え、現代では栄えすぎて
心の病も付随して起こってきた。

心は昔、「ころころ」と言い、それくらい変化するものと象徴されていた。
「私、3日前、チベットへ9日間、48名で行ってきました。」
標高3600Mのチベット自治区、首都ラサに世界遺産のポタラ宮殿がある。
生き仏のダライ・ラマは、現在も70歳で存命しているが、
中国の支配下になったときにアメリカへ亡命した。
現城主は、16歳のパンチュン・ラマだ。

チベット民族は、富士山よりも高いところで生きている。
参加者の何人かは、吐き気、心拍上昇、肺水腫などの諸症状の高山病を呈する。
7000M級のヒマラヤ山脈では、5000Mの山々には名前さえない。
雲の上の空気は薄く、直射日光がきついのでサングラスが手放せない。
気温もマイナス4~5度と米もとれない。
地球は生きていて、動いている。
現在、最高峰のチョモランマ(8848M)は、そのうち、K2という山が
隆起し、抜かれるだろうと言われている。

そこで生き、死んでいく人々のことを思えば、
日本に生まれたことを感謝する。

日本列島の長さに匹敵するラサ川に魚は棲息しているが、
チベット人は、漁をしない。
方や、動くものはイタチ、猫、ハクビシン、ゴキブリまでも、
食べてしまう漢民族の侵略に遭い、現在、中国統治下の自治区になった。
その指揮官が中国のコキントウ氏だそうだ。

話題は変って、山田師は今度は、小林一茶の名句と共に、
いくつかの川柳を例示し、
現代の人間模様を皮肉った作品で相談員たちを笑いの渦に巻き込む。

やれ打つな、蝿が手をする 足をする
医も知らぬ 他人の飯に あるくすり

一茶の辞世の句「たらいから たらいへ移る ちんぷうか」
これを現代パロディでは、
「人生は 紙おむつから紙おむつ」
「病院から病院へ移るちんぷうか」
サラリーマンの妻の描写
「まだねてる 帰ってみれば もうねてる」
「一戸建て 手の出る土地は クマも出る」

他にもメモにはいろいろ書き込んだが、とても綴っていられない。

最後に、「人間は自分で何かしようとしなければ、何もしないものだ。
何もしなければ、一体何のために地上にいるのだ。」

これぞ、ABAの真髄!
でも違うところは、ABAは動物も対象になるし、
じっとしているとか、ただ呼吸をして永らえていることも行動と言えるのだ。

予定終了時刻の12時半をかなりオーバーして、後半は、祝賀パーティーだ。
会場の設営を変えて、白いクロスの上に、ご馳走を並べる。
歓談しながらの食事の後は、皆で和やかにゲームや手品、歌唱を楽しんだ。

わたしは、中学時代の修学旅行でクラス仲間と楽しんだ思い出の
ゲームをインストラクションした。
その名も「ウインク・キラー」

「まず、向かい合って円陣になり、ウインクの練習をしましょう。」
「次に、トランプのカードを一枚づつ誰にも見せずに、見てください。スペードの1の方、探偵役でウインクキラーを探してください。」
「ジョーカーの方、挙手しないで、黙っていてください。
あなたが、ウインクキラーです。あなたは今から、目と目が合った人に
ウインクをします。その他のみなさんは、ウインクされたらその場で
座ってください。でも、ウインクキラーを探し出すのは探偵ですから、
最後まで黙っていてくださいね。
それでは、ウインクキラーさんスタート!」

一回目に配ったカードの中から、ジョーカーが漏れていたので、
配りなおして、もう一度やり直し。
探偵は、どこかの自治会長のN氏
スタートの瞬間、皆が、黙して、キョロキョロとお互いの顔を
意味深に見回す。
一人、また一人と座っていく。
半分以上の人が座った頃にNさんは気がついた。
灯台下暗し、左隣の女性がキラーだった。

参加者のうち、初対面のWさんが、後から私に近寄り、
「ルールがわかってからは、何だかドキドキしてきて面白かった。
もっとやりたかったわ。」
「よかった。またどこかで楽しんでみてください。」

わたしが楽しかったのは、手話で歌を歌ったことだ。
4つのグループに分かれて、四季の歌を歌った。
終わりの挨拶で再び、U氏が挨拶し、また感極まって泣いていた。
4時に終了して、三々五々に相談員は帰路に着いた。



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2005/11/05 20:59 | 講演会 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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