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ゆきんこらしく、父の告別式

昨日20日正午より納棺式と、
午後2時から日没前の17時前まで
告別式と初七日法要を執り行いました。

父は享年86歳。大往生だったと思います。
20日未明、つまり、父が息をひきとって24時間後。
ぱちっと目が覚めてしまい、明け方までよく眠れず。
やっぱり特別に喪主を務めるので緊張気味。
でも、体調はまずまずいい方です。

結婚してから12年目となりその間、弔事が一体何回あったか
その度に、喪服に身を包み、親族と重々しく故人を悼むとき、
私の体調は最悪で告別式はいっそう辛かったです。

まだ梅雨明け前の昨日の天気は曇り。
浅い眠りから午前6時半頃起床して
3日間降り続いた雨がなんとかあがって
たまった洗濯物を洗って干しました。

それから、朝ご飯作り。
意図的に、いつも通りに、
でも父を送る前の大切な朝だから、

昨日の打ち合わせで式を進行する葬儀社のAさんが、
「コーヒーでもなんでも、お好きな食べ物棺に入れてあげてください」
と言ってくれました。

コーヒーに、チョコレート、お好み焼き、おにぎり、
高野豆腐、かぼちゃの煮物、焼き豚
それぞれラップに包んで父の頭の周辺に並べました。

最後のケアマネSさんのメールをふりかえってみると、
父は15日誤嚥性肺炎の疑いで体調が急変し、
そこから亡くなるまでの5日間絶食していたらしい。

私は15日の海の日や、他にもオフがあったのに、
7月2日から最後に見舞った18日の夜まで安穏として、
それが危篤を知らせるメールとわからなかった。

「はい、むせないように、ごくっとちゃんと食べてよ」
と一声かけました。

一昼夜明けて棺に入った父は、
死後硬直で口をぽっかりけていた。

おじ、おば親族たちの棺の中のお顔を思い出すに、
闘病で疲れた様子が伺えたが、
父については激やせしても苦しんだ形跡はなかった。
ちょうど2か月前の5月22日に退院したとき、医師と相談して延命措置はしなかったが、
特に闘病もせず、純然たる老衰で安らかに旅立つことができた。

2月13日ホームのベッドから転倒。
左大腿骨骨頭骨折して一度入院手術し、1か月後には退院したものの、
母と正反対に予後はとても悪かった。
4月6日の午後、満開の桜並木を母、夫と散策していた頃、
父は再入院した。

離婚した両親をそれぞれに花見に連れ出そうと思っていたが、
再入院の報せで、父の場合はそれを叶えることができなかった。
その頃から、なんとなく虫の知らせを予感し、不安な気持ちで
母、夫を伴っての父の見舞いが始まった。

食事が摂れなくなって骨皮筋右衛門さんになり、
5月半ばには寝たきりになった。
平成~令和にかけて親族に生前最期会ってほしいと手紙を書いた。
退院を前に葬儀場や埋葬先を探しまわっていた。

父の最後を覚悟しても
次第に老衰していく姿を見るに耐えず、
私は出没回数をなるべく増やしたものの、
父と一緒にいる時間は1回の見舞いにつき、
30分から1時間以内でさらりと手を振って去ってしまった。

5月24日には訪問往診の主治医より余命1週間宣告を受け、
地元のH寺を訪ねて、葬儀場が即決、写真も選定した。
また別の葬儀場で紹介してもらった樹木葬の永代供養墓の契約にこぎつけた。
これでいつどうなっても大丈夫。
父に最高の人生最後の贈り物ができると大満悦だった。

父は退院してホームに戻ってヘルパーさんや利用者さんたちと
また暮らせることが嬉しかったのだろう。
ミキサー食になったけど、点滴もとれて少し小康状態になった。
存亡の峠は越えて、生きる気力も復活したかに見えた。
私も終活の段取りが調い、スタッフに委ね、見舞いを怠っていた。


そんなこんなのプロセスで、
昨日の告別式はドタバタすることなく、思い描いた通り遂行した。
親しみやすい同年代の相殺スタッフと
新たにご縁をいただいたH寺のお母さん住職と息子さん副住職の導きで、
自分らしく父を送ることができた。

ホームでお世話になった取締役のS氏
父が息をひきとる瞬間を看取ってくれたホーム管理者Nさん
最期のケアマネSさん
ホームを斡旋し、独居の父を救出してくれたHさん

参列は関係者4名だけで、東京から従兄のH兄弟にも
献花を頂戴した。
親族は来ないし、友達もいない。独居老人だった父の旅立ち。
棺の祭壇は黄金に輝き、そんな父には勿体ないくらいの
こころのこもった告別式になった。

「それでは、喪主様よりご挨拶いただきます。」

え?
それはまったくの予定外でしょ?
涙声で何言ったかよくわかんないけど、
「父は長い間独居でしたが、ホームに移ってから最後まで幸せいっぱいで過ごせました。
皆様お一人御一人、どなたが欠けても今日この日を迎えることはできなかったと思います。
訳あってバラバラになった私たち家族をつなぎあわせる重要な役割を果たして下さり、
本当にありがとうございました。」
みたいなことを述べ御礼の弔辞とした。

出棺の瞬間、父のお気に入りの「♪TOMORROW」が響いた。
これが一際いい感じになった。

なぜか火葬場で骨上げを待つ1~2時間は涙も渇いて
遺影の傍でリラックスすることができた。
他の遺族たちがグループ毎に待合室を去り、
夕方5時夫、母、私の3人だけになった。

そして骨上げして、母をホームに送って、次は夫と二人で初七日法要。
「経った今、お父さんは仏になりこれからは貴女方を見守って下さいますよ。」

夕暮れを背に、一度帰宅して着替えて夕食は付近の和食レストラン。
喪服のままのどこかの遺族も同じレストランに居合わせた。

父の位牌と遺影はこのパソコンの横にある。
今日から様子を見に会いに行かなくても、苦しくて、悲しくて、腹が立って、憎くて、
心配で心配で、、、
そんな涙流さなくていい。
私だって白髪ぼうぼうでくたくた。

お父さん、これからはいつも一緒だね。
ご先祖様や伯母さんたちによろしくね。
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