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秋風によせて~友の墓参り~

2019年は2月に伯母、7月に父が他界し、文字通り、愁傷の私です。
その間、学友の訃報も耳にし、これには仰天しました。

在りし日の友、Kちゃんを悼み、学生時代からのいつもの女子会のメンバーが
祇園四条に集まりました。
省みるに、Kちゃんと私たちは学食でランチを囲み、
卒業後もまめまめしく、月1回には「花金」(花の金曜日)に
退勤後、飲み会やカラオケなど女子会を開催し、共に興じ続けました。

20代も後半になると、
一人またひとりと結婚を機に参加人数が徐々に減り、
結婚後も、50代に至るまで友情が続いてきました。
出会った当初は18歳の私たちも、
気づけば、子どもたちがその年を追い越し成人していました。

Kちゃんとの交流は、それぞれのライフステージが移行する過程で、
というか、実は、私が彼女を傷つける一言がきっかけで疎遠になり、
30代には音信不通となりました。

思い当たるとすれば、夢追い人で社長令嬢のKちゃん、
どこか地に足ついておらず、30歳でもニートな彼女に
苦言を呈してしまったのだと推測しています。
1990年、私たちが卒業、就職してバブル崩壊。
その後、思い描いた通りの人生行路を進めた若者と、
そうでない若者との間に格差が生まれました。
勝ち組は、結婚して母になり、
負け組は、実家でパラサイトシングルに。

今なら、もっと彼女の苦悩を慮れただろうけど、
自分もはみ出すくらいの履歴書を書いては巷に放り出され、
就活と離職を繰り返し、
悔し涙を流しつつ、先の見えない30代を過ごしていたのでした。

待ち合わせのときに、実はKちゃんのお母様がお墓まで同行案内してくださると
いうので、南座でお会いし、お墓に移動しました。

はじめましてのKちゃんのお母様は、Kちゃんに生き写しでした。
いや、Kちゃんがお母様に酷似していました。
その面影から、Kちゃんとの思い出が次々と浮かんできました。
お母様もどうやら、一番の親友って訳じゃないけど、
Kちゃんから私の名前を知って下さっていたようです。

はじめましてだったけど、
いろいろ共通の思い出話ができて、
そして、お母様の面立ちがKちゃんそのままで
私は懐かしく、Kちゃんに会えた気がしました。

Kちゃんのお墓は、小高い丘の上にあり、菩提寺は大勢の人々で賑わっていました。
京都の市街地が一望でき、お祖母様と眠っているとのこと。
ちっとも寂しい感じがしませんでした。
持参した数珠を手に合掌しました。
Kちゃんの遺族は、お母様と妹さんとのことで、
私も2か月前に父を送ったことを告げました。
そして、自分にもKちゃんのお母様にも言いました。
「時が経っても、父やKちゃんを亡くしたことは、悲しいことは悲しいです。
だけど、一緒に過ごした思い出があり、悲しみを共にできる人がいるので、
自分だけが悲しいんじゃないと、一緒に悲しんでもらう人がいて、慰められる気がします。」
「そうですね、Kも喜んでいます。」
「Kちゃんのお弁当、お母さんが作っていらっしゃったのですか?」
「そうです。」
「大きなお弁当箱にいつも梅干しが入ってて、彼女平らげてました。カセットテープもダビングしてもらって、
Kちゃんの影響で私もユーミンが大好きになりました。」
「そう、部屋にはCDがいっぱいあふれてたわ。」
「私、好きなことをとことんめいっぱい楽しむKちゃんが羨ましかったです。」
「ええ、そうね。あの子、わがままだったけど、短くても幸せだったと思うわ。
高校時代は彼氏もいたのよ。でも、進学先が別々になったの。」
「そうでしたか・・・タラレバですけど、可愛くてお嬢様のKちゃんだから、
ホントは早く結婚して幸せになって欲しかった」
などなど帰り道で話すうち、再び、四条駅に着き、お母様とお別れしました。

嘗ては、Kちゃんも常連だった女子会。
おばさんになっても細く永く友情を続けていきます。

私は、20代の頃(1993)、「みんなのうた」で放送されていた「秋風によせて~遥かな友へ~」
をアップして、Kちゃんを偲びました。
行年52歳でした。
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