ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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昨夜は、無事にプレゼンテーションが終わった。

ぎりぎりまで、構想を練っていたら、身支度に時間がかかり、
15分くらい遅刻してしまった。
「先生、すみません!」
「来るのかなと場つなぎに焦ったよ。」
前回の「ヒトラーの児童期」を踏まえてのケース発表。

「事例は、私自身です。この文献を目にしたとき、わたしが発表するのだ
と思いました。というのは、わたしは社会科の教員免許を持っていますが、
教育実習で任されたのは奇しくもファシズムの台頭でした。」
と冒頭述べて、前回11月2日提出のレポートを読み上げた。

「自閉症の子どもたちをどのように理解し、信頼関係を築くのかが、
最も困難であり、今もってそのことはわからず、体得できていない。
もっと率直にいえば、健常者といわれる人々の間でもそれを
実感してこなかったように思う。」

そして、10月29日の高遠菜穂子さんのイラク・ファルージャの現状報告の講演会「命に国境はない」のあらましを紹介した。
彼女が30歳で、国際ボランティアという仕事に使命感をもって挑む姿に、
わたしも及ばずながら肖りたいとの思いで代弁してみた。
「会場から高遠さんの平和の概念とは何かという質問に、彼女は
『戦火の中にも子どもたちや素朴な人々との交流もあるし、今の日本は
戦場ではないが、平和とはいいきれない現象が次々と起きている。
平和は一人一人の心の中にあるのかどうかということだと思います。」

「歴史は巨大な楔(くさび)のように現在の奥深くまで打ち込まれているのであって、もしも、われわれが挑戦を受けている諸問題の現在性を強調するあまり、現在のなかに喰いこんでいる問題の歴史性を看過してしまうならば、
おそらくは手痛いしっぺいがえしを受けるほかはあるまい。」
大塚久雄『社会科学と信仰と』

続いて、H市の広報に目を転じて、アルバイトで在籍していた
創立35年の市立K保育所から高濃度のアスベストが検出され、
11月2日にご近所の廃園したM幼稚園に移転したこと。
移転したこと、このエリアが国家公務員の居住区で、
66年前の年3月1日に弾薬庫が大爆発を起こす大惨事があったこと、
全国でも先駆けて、「非核平和宣言都市」になったことを述べ、
当時、H市民会館の大ホールで「戦争を知らない子どもたち」を
歌った思い出も告げた。

市長のノートブックのページを読んだ。
「ある女性の市民からの匿名のメールでは、卒業式が全校同じ形式など、
H市の教育は右より過ぎて、戦前の思想に戻っていると考えられる。
子どもたちや孫たちを戦争に行かせたくない。これからの日本を背負う
子どもたちの教育を市長個人の考え方でしてほしくない・・・と。
10年前に就任した当時、「高校受験の地元集中」の行き過ぎた指導があり、
多くの中学生たちが志望校を受験できず、悲しい思いをしていました。」
そして、わたしもその当事者だった。

「終戦日にあたって」は、戦争を知ってる子どもたった母の手記だ。
家族と別れて親戚に縁故疎開し、寂しいかった思い出や、
親戚の赤ちゃんを子守りし、冷たい川でおしめをあらったこと、
木の実や芋の茎を食べたこと、空襲の赤い炎を丘陵から眺め、
みんな死んでしまったと思ったこと、終戦の8月15日に家族と再会し、
ほっとしたこと、終戦後も当時の国民学校では、墨塗りしかしなかったこと
やがて、闇市に品物が並び始めたが、手に入るのは、お金次第だったことなどを綴っている。
また、母が今年3月に視聴した映画「誰も知らない」の感想寄稿文も紹介した。
「この物語は、どこの国のできごとか?わが国の話とは、とても考えられない
無知な母親をもったきょうだいが、出生届も、就学もできず、物扱いされ、
捨てられ、荷物のようにボストンバッグに詰め込まれて、医者に診てもらうこともなく一生を終わる。このような幼子が経済大国と自負するこの日本に
いるとは、信じられない。誰も知らないでは済まされない!」

それから、母が記録したわたしの育児記録
生後6ヶ月で初おすわりの写真の横に
・おすわりができる
・ねこと遊ぶ
・外が好き
・手に触れたものはしっかりと掴んではなさない。
・足を踏ん張って立つ
・ぴょんぴょんととびはねる

そして、1992年10月、民間カウンセリング教室の卒業記念で記したエッセイを読んだ。
「今日のこの日のために、13年前に書いていたのかもしれませんね。」
『私の夢は、カウンセラーになること、そしてもうひとつは、自分なりの
家庭を持つこと。誰もが持っている、けれどとても大切な人生の課題とも
いえること・・・・・。
しかし、今私はこの夢の前に立ち止まっていると言った感じです。

父のような人と結婚するくらいなら、一人でいるほうがましだ。
母のような苦労に満ちた相手に翻弄させられる生き方は絶対にしたくない。

父は母にとって夫になれず、わたしにとって父にもなりえなかった人です。
エリクソンのいうところの発達の第1段階である信頼感を得ることが
できなかったのでしょう。

父が収入を入れたのは新婚当初の一度きりで、後は質屋や相場に消えていきました。持って帰ってくるのは、ゴミタメから拾い集めたガラクタばかり。
極めつけはいつ墜ちるともわからない人間爆弾です。ひっくり返るお膳、
暴力の嵐。その繰り返し繰り返しを今日まで続けてきました。』

ざっと一気に紹介して、小1時間、聴講していた10名ほどの教職員は、
黙してわたしを見つめていた。

「何か質問はありますか?」
I先生が口を開いた。
正面の最前列にお決まりに座っていた、優秀なセラピストのAさんが
質問してくれた。
「これだけのたくさんの内容も込めて、なぜ今、自らが事例になろうと
思ったんですか?」
「開示してきたのは、初めてではありません。私の事情を全て知って、
生涯つき合っていける友人も複数いますので、心配には及びません。
ただ、同業者や、教職者にいざ、改めて語るのは、こんな風に声も
上ずるし、私の中ではまだ解消されていないのでしょうね。
今までは、言えなかった。大人になって、こんな時代になって、
やっと言えるようになったのです。本当に辛い渦中にいる時には、
どうしても言えなかったのです。
自分をまな板にかけることは、とても勇気のいることで、緘黙も治ってはいません。私たちがこれから、事例かかわり論文を書く際には、その対象を
決して軽軽しく手玉にとってはならないと思うし、それ以前に、今回は、
自らが対象になることで、その再び心のかさぶたを先生方の前に晒す必要があると思いました。わたしにとっては、今持って、先生方が同業者である前に、
信頼に足る存在なのかと疑いつづけているわけで、成人しただけに見る目はシビアです。」

続いて、大ベテランの幼稚園の園長先生
「お母さんってとても文章がお上手なのね。」
「ありがとうございます。母に伝えます。」

そしてI先生の総括コメント
「まとめなくちゃいけないんで、ごめんね。
え、私の妻も年上の社会心理学者です。私の家族は両親も、兄弟も祖父母も健在です。妻は、親のモデルに是とする家庭環境で育った人は、早熟型とし、
外界への適応も良好だが、葛藤が生じる場合の、社会不適応や敵対心との
相関性を研究しました。

何世代の人かな、ゆきんこさんの命名が曾祖母に因んでいるということですが、たくさんの資料を含めて感じたメッセージは、
『歴史を忘れるな』ということではないでしょうか。
家族から受け継いできた正しい歴史認識なかに、そして自らの人生、
発達は、時間軸の中にあるということを忘れないようにしたいですね。
特に、昨今の日本人全般にその意識が薄れているのではないでしょうか。」

授業終了後、わたしは、憮然としてI先生の板書を吹き消した。
あまりにも、教鞭を取る人々の白白とした無反応に嫌気がさしていた。
「ああ、消してくれてありがとう。」
「いえ、いいんです。折角、一生懸命発表したのに。。。」
「そんなことでめげてたら、この仕事できないよ。私なんてしょっちゅう」
「え?先生も??」
「先生のパートナーも心理学者で、わたしと同い年だったんですね。」

なかなか自分を語るって難しい。
どうしても、そのときのことを思い出すから感情的になっちゃうね。

そういえば、もう一人のI先生は国際的な学会にご出席だったらしい。
11月8日に、押しかけ受講したときに修士論文のエピソードを何気なく
語っていたけど、当時を偲んでいたかもしれない。




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