ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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「年賀状出してくれた?」
母が昨年の年賀状の束を触りながらわたしの傍で聞く。
「出しました。」

ゆきんこは、両親に似ていない。父方の母や姉、従姉などに似ている。
隔世遺伝である。
本名は、古風すぎて気に入っていないが、祖母が曾祖母の名を命名してくれた。

只今、「オーラの泉」を視聴中。
クライアントは元ピンクレディーのケイこと、増田啓子さんだ。

昨晩10時半ごろ、別居の父から久しぶりに電話があった。
平成天皇よりも3ヶ月早い生誕の父は、2年前にバイクと自動車の衝突事故で、下半身を骨折し、
以来杖をついて辛うじて歩けるという状態になり、ホームヘルパーさんのお世話になりながら、通院生活をしている。
「腰がちっとも曲がらなくなった。明日入院するかもしれない。
明日の朝、電話するから手伝ってくれないか?
この電話の返事でお前たちの反応を確かめているんだ・・・」
「わかった。じゃあ、明日8時ごろもう一度電話をちょうだいね。」

母と私は、父には冷やかだ。
どうしてこの家を追われた最期の思いを忘れることができるだろう。

それでも、受話器の向こうの情けない父の声のトーンを無視することなどできるだろうか。
今朝、いつもより早く母とわたしは、ふとんを上げて、父の電話を待った。
しかし、「風のハルカ」が終わって8時半を過ぎても電話は無かった。
「こっちからかけて確かめよう。」
留守電だった。こんなとき、いいことはあまり想像しない。

父の住処へ移動した。
父は不在だった。
どうやら、自力で病院へ向かったらしい。
帰宅を待って、汚れた部屋を掃除した。あまり掃除しすぎると、
清潔な状態に不快感を示す父にわからない程度に、昨晩の窓の結露など
を拭き取るなどして、小1時間過ごした。

自室にしていた部屋も、父の衣類が吊るされていて、学生時代の
思い出の品々も埃を被ったりしているが、引き出しを開けると、アーカイブ。懐かしくて、つい手がとまって脳ミソがタイムワープしまう。
思春期から使っていた白いカラーボックスの中段の蓋を開けると、
母が結婚前に勤務していた幼稚園時代の花瓶、そして母の旧姓の宛名の4通の封筒が出てきた。
差出人は、父方の祖母だった。

「もうそろそろ帰りそうだけど、どこの病院へ行ったんだろう?」
「N病院かな?」
「電話しようか?」
「電話帳が見当たらない。」
「ちゃんと帰ってこられるか心配だから、二人で行こう。」

戸締りをして、N病院へ向かったが、あいにく父の受診は終わって
病院を出たばかりだった。
再び、父の住処へ戻ると、父が自由の利かない足で自室へ向かう階段を昇っている最中だった。
「こんなことになるなら、1階を選ぶんだったな。」
「入居するときは、見晴らしがいいって気に入って最上階を選んだんでしょう?」
エレベーターなど気の利いたマシンは、築25年以上のこの集合住宅には設置されていない。

ともかく、母と私が支えて父を食堂の椅子に座らせた。
母が薬局へ折り返し薬を取りに行き、私は父の昼食の支度を手伝った。
腕を少し動かしても腰に激痛が走るので、父はイライラしながら、私に
諸々の指示、命令を出した。
「そんな口のきき方、ヘルパーさんにしてたらいやがられるよ。」
それでも、同居していた20年前の父よりも白髪のよぼよぼじいさんに
なった今の方が譲歩できる私になっていた。
それだけの年月が過ぎていた。

父は私に幼少の思い出を語り、涙脆くなっていた。
「昨夜も眠れなかった。枕元に婆さんが来て、なにやらごちゃごちゃ
言ってるんだよ。」
「こんな哀れな息子の姿をあの世から見かねて心配で来るんじゃないの?私もさあ、不思議なんだけど今大学院に行ったことを御祖母さんが一番喜んでくれているように思うんだ。
予備校に通ってたとき、交差点で信号を待つ間、何の前触れも無く、
ふっと御祖母さんのことが頭を過ぎって、涙が出そうになった。
ねえ、御祖母さんってどんな人だった?」
「純真で真っ正直だが、不器用な人だった。親父からも暴力を受けていたから、夫婦仲は悪かったし、親父を恨んでいた。
実家の方がずっと格式も高く歴史もある寺だったからな。」
「御祖父さんと結婚して踏んだり蹴ったりだったんだね。
何か私に似てるなあ・・・逆子で難産で生まれたって本当?」
私は、母から間接的に聞いていた父の出生や幼児期を確かめた。

「ああ、そうだよ。昔は産婆さんが取り上げたから、一度出掛かっていた身体を体内に押し戻して産んだから、御祖母さんの母体も危なかったらしい。おまけにワシは、5歳のときに御堂に上がってそこから転落して、お袋は気が狂ったようになっていたらしい。」
「この2つの出来事だけでも、十分どこかで脳損傷受けてる可能性あるよね。勘当してしまったお父さんのこと、死ぬまで気がかりだったんだね。だから心配でこの辺うろうろしてるんじゃない?」
「ああ、まるでハムレットだ。御祖母さんの墓参りに行こう。
雷鳥に乗るときは、お前も一緒に付き添ってくれよ。」
「うん。いいよ。」
父とわたしはハモって泣き、運命を嘲笑した。

「この前の衆議院選挙のとき、TVに映ってたWさんって親戚だって
母が言ってたけど。」
「深雪伯母さんの婚家の義理の兄弟だ。よく知っていたな。」
そうこうしていると母が戻ってきた。
母は自覚していないが、父と話すときの母の声のトーンはヒステリックになる。それが私の神経を逆撫でる。

私は、ふとさっきの白いカラーボックスから祖母の手紙の束を
リュックサックに入れて、父に別れを告げた。
「月曜日、電話ちょうだいね。ちゃんと来るからね。」

自宅に戻って軽食を摂ると、今度は電話相談のボランティア当番に出向いた。
今日はクリスマスイヴの土曜日のせいか、件数は少なかったが、
私は3件の応対をした。
「今年は、パーティーの誘いがあったんだけど、行かなかったの。」
「そうですか。独りで過ごす人も増えてるんでしょうね。」

「私は戦前生まれですけど、世代のギャップは仕方ないのかしらね。
孫に何十万円もの成人式の晴れ着を買ってやっても、ありがとうの
一言も無いわ・・・」
「飢えも知らず、モノに取り囲まれて、お金で買えば何とでもなるという時代に育つと、有り難いという感情を持ちにくいのではないでしょうか。」
「そうね。戦争で辛い思いをしたから、次世代には同じ思いをさせたくないと甘やかし過ぎたのかもしれないわ。」

定刻をオーバーして、元薬学の研究者だったというW氏との初顔合わせコンビのボランティアを終えて、私は自転車で自宅に戻った。

「ねえ、今日、御祖母さんの手紙を見つけたの。お母さん宛のだよ。」
「え?そんなもの見ないほうがいいわよ。」
「でも、御祖母さん見つけて欲しかったんじゃないかな?
昨夜も夢枕に現れたらしいよ。うん。そんな気がする。」

私は、母の前で祖母の手紙を音読した。いつの日付かもわからない
遠い日の手紙を。
「お手紙ありがとうございました
当地は今年は雪の量も少なく割合に過ごしやすい冬でした
春はそこまでやって来ているので寒いとは云いながらもうしばらくの
辛抱と思っております。
さて あなたのご苦労を手紙をいただかなくても
まざまざと見ている私としてはほんとうにやりきれない思いで一杯です。
私に経済力があれば貴女に請求されなくても直ぐにでも送金したいのですが それが出来ない事が一番心苦しく悲しいことです
毎日そんな事ばかり考えておりますので頭がぼんやりしてしまって
何をする気力も起こりません 耳もすっかり遠くなってしまって
人との対談は不可能に近いものです」

母は、私の幼少時、祖母と深雪さんにしばしば手紙のやりとりで、
窮状を訴えていたが、祖母に深雪さんとのやりとりは、婚家との
いざこざを懸念して遠慮するように咎められた。

それが、断絶の要因となった。
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