日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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今年最後の、3度目の美山町
2005年12月28日 (水) | 編集 |
今日も地球はいろんな命を乗せて回っている。
わたしにできることは、ちっぽけなこと。

障害のある人にとって、外出するということはとても大変なことだ。
だから、自分の存在価値や自尊心は、ただ息をして存在している。
眠ったら、目を覚ましてまた生きていて、何かができるというささやかなことに喜びを見出すことも、素晴らしいことなんだと実感できる。
多分、お金をガバガバ儲けてのし上がっていこうという、
ここ数年蔓延してきたある種の日本を覆っている価値観と、
自分が常に乖離してきたことを自覚している自分にとっては、
今が、正念場なのかもしれない。

その意味で、営利を介さない純粋な事物が、わたしにとって
何よりも大切だ。
それは、多分性別とか、年齢とか障害とか、色んな違いを超えられる
存在としての友情なのかもしれない。

ビジネスというよりも友情とか仲間とかいうカテゴリーが
私には大切だ。
そのために骨身を惜しまず、共有できる時間を、一緒に食べたり、
遊んだり、泣いたり笑ったりして過ごしてきた。
だから、気がついたらわたしの周りには何にも残っていなかった。
気がつけば、わたしは何もない真っ白な世界に取り囲まれていた。

ちょうど1ヶ月前の11月24日から26日京都の美山町へS先生の指導実習で訪問した。
S先生の知り合いの「久や」さんを紹介してもらい、茅葺屋根の
超アットホームな民宿に一泊して、すっかり美山の原風景に魅了され
翌日27日の日曜日、旧友のOちゃんはじめ、何人かの知人、友人に
紹介して、ボランティアで散らし配りまでした。

自分で言うのもなんだけど、掛け値なしの動物本能レベルで
純粋なオペラント行動をしたときは、楽しい。
でも気がつけば、プロになりきれず、ボランティアの領域を出ることもなく報酬は無い。
この世知辛い「弱肉強食」のご時世において、なんと骨折り損なキャラクターなのだろう・・・なんて
IT長者盤の「人生ゲーム」のやりきれなさに落胆もする。
次世代にどんなふうに影響するんだろうかと心配・・・

いささかビジネスライクな臨床の専門家には、同情の域を出ないで、
一緒に泣いていたり、その渦に巻き込まれたりしてボロボロになったのでは、何の解決にもならないと私自身の呆れられたり、匙を投げられたりしてきた。

こんなとき、良くも悪くもユニークと称されてきたゆきんこは、
旅に出る。
Oちゃんが、築120年の茅葺民家のホームステイ旅行に関心を持ってくれたのもある意味チャンスだった。

多分、こんな純白の美山に触れるという体験が実現できたのは、20年続いた腐れ縁の友情に支えられてのことだったと思う。
そして、クリスマス・イブに偶然見つけた亡き御祖母さんの誘いのようにも思われた。

10時50分にJR京都駅の改札口で待ち合わせ、11時4分発快速園部行に乗った。
トンネルで、耳が痛くなり、Oちゃんと耳抜きの話題になった。
「随分前に、飛行機で耳が抜けなくなったって言ってたね。」
「ああ、10年以上も前かな。憶えてたの?」

その長いトンネルを抜けると、本当にそこは
雪国だった!

園部からワンマン電車の福知山線に乗り換えて、和知駅で美山町営バス
で、美山町へ
秋の色とりどりのオシャレな山々は、純白の雪化粧で出迎えてくれた。
正面のバスの車窓から雪の結晶たちが、体当たりしてくる。
というより、フロントガラスに吸い付いているという感じがする。

メカニックなモノにはお任せのOちゃんは、彼女の目線で素敵な
シーンを見つけては、デジカメのシャッターを切った。
でも、その正反対の私は、デジカメも携帯もなく残念ながら
今ここの美山の壮大な美しさをお伝えする術は、旧式のゆきんこ流の
文字の羅列ということしかできない。

泉というバス停で、民宿「久や」さんの北山へ向かうバスに乗り継ぐ間
傍の「サラダ館」で雪長靴を物色した。
・・・といっても女性用は1~2点しかないし、雪が積もるところでは
必需品でも、都会では滅多に活用することも無いので、二人で当然躊躇した。

結果として、2時前に到着した「久や」さんで、厚かましく
雪長靴と傘までお借りして、北山の雪の散策を楽しんだ。

人目がなくて、気の置けないOちゃんとであれば、年甲斐も無く童心に返ってしまう。もっと無邪気な子どもがいてくれればもっと盛り上がるんだけど。
「♪雪ってながぐつスキだって」
「そんな歌あるの?」
「うん。♪ゆ~きのこぼうず空から降ってきた。」

鎌倉社でお参りし、知井(ちい)八幡宮へ行こうとしたが、
小さな渡し橋の上には積雪30センチ以上もあるこんもりとした
未踏の雪で覆われていた。
ここで、ゆきんこはおおはしゃぎ!

ズブズブと膝あたりまで雪に埋もれながら一歩一歩と前進した。
こんな他愛もないことが、「雪の積もった橋を渡る」という目的であり
「渡った」という結果と達成感をもたらしてくれた。
そこに、どんなふうに?どれだけ?という曖昧なバロメーターを
形容詞的な「何となくの」感覚で叙述するのではなく、
何歩で?何分でという世界が、言わば研究的ビジョンにつながるわけだ。

だから、その同じ日に、恐らくABAの講義で締めくくったI先生が2年前の壇上と同じ台詞で
お気軽に大学院にどうぞ」と仰ったのはやっぱり、ペテンではなかっただろうとも思う。

しかし、実態はお気軽なんてものじゃなかった。
I先生はどこまでも突っ走っていた。
私は、鼻水を垂らして相変わらず泣いていた。

真っ白な雪の美山は本当に美しい。
ゴールは目前で、数歩歩いて、辿り着ける距離なら楽しい。
でも、それが何年も、何十年も、何十歩も、何万歩も、
その果てしない向こうに何があるかもわからない未踏への探求心
人生も、時代もそんなものかもしれなくて、
このご時世は確かに頭の回転も含めて速い者、多いもの強い物が、
マスコミの波に乗って賞賛されているように「見える。」

雪山のど真ん中で泣いていたら、アンパンマンがその叫び声を聞きつけて
飛んできてくれるだろう。
自然は素敵だ。でも本当はとても怖いモノだ。
自然と共存してきた代々のネイティブ美山の末裔は、やはり
都会育ちの人間とは、明らかに異なる価値観やユニークな風土が裏づけになった人となりが垣間見える。

昔から山に取り囲まれた辺境の地に「共に」という助け合い精神は、
裏を返せばおせっかい主義の、温かくもノープライベートな時空間を
余儀なくされる。
他人であっても、美山に住んでいれば家族なのだ。

久やさんには、なんと客間にテレビはない。
Oちゃんと私は、うろうろ雪の散策やらデジカメでの記念撮影を
しばらく楽しんだが、休日明けのしかも雪の降り積もる村落で、
あとはバス停横のみやげ物や「きたむら」さんを物色するくらいしか
することはなく夕方5時には、宿に戻った。

それから日暮れと共に、名物の地鶏鍋をご馳走になったが、
食事の最中から、9時に入浴して、11時半ごろの就寝まで、
延々とおばあちゃんのおそのさんと語らい続けた。

話題を全て記述していたら、誰も読んでくれない。
平成5年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けて以来、
脚光を浴び始め、町興しの名産品の宣伝にも力を入れ出した。

それまでの平成のはじめのことまでは、おそのさん曰く
「しずかなしずかな村」だった。
たまには、大名行列やサスペンスのドラマロケなどがあり、エキストラ
で出るくらいだが、通常は人間よりも動物の方が多いくらいの村なのだ。

これは、特ダネ中の特ダネの話
12月9日に久やさんの敷地内に、非常に珍しいお客さんがお出ましになった。
白菜を差し上げたのだそうだが、お客さんは召し上がらず、
1時間以上もそこに佇んでおられた。

お名前はないのだが、国の天然記念物であられる
ニホンカモシカさんだった。
結局、村の人々が手足を縛って、里山に返したのだそうだ。

おそのさんは、手先が器用でこの1ヶ月のうちにクリスマスの
パッチワークキルトのタペストリーを仕上げて装飾しておられた。
囲炉裏端での手芸品の品評で雪の夜長が過ぎて、Oちゃんと私は来年の干支の犬のぬいぐるみをお土産にちょうだいして、花丸ラッキーだった。


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2005/12/28 13:15 | 旅行 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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