ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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2005年も残すところ、あと3日になった。
日本で一人暮らしのお年寄りや独身の男女も増えているけど、
社会全体が休息する年末年始は、寒いせいもあって寂しさも募るだろう。

12月26日~27日の一泊2日美山の冬の旅について、忘却の彼方へ行ってしまわないように、
もう少し記録しておこう。

朝は、8時過ぎに起床。宿泊した民宿久やさんで目覚める朝は我が家より寒い。
布団の中は電気毛布でほかほかあったかいが、空気が断然冷たい。
窓の外は、まだ雪がちらちらと降っていた。
例年は、2月頃に積もるのだが、年明けの前に雪が数十センチも積もるのは、美山でも珍しいとのことだ。

朝食を済ませると、10時過ぎに1日目の月曜日、定休日だったお向かいの「民族資料館」へ出かけた。
資料は、茅葺中層農家の家屋丸ごとも含めて、約200年前、江戸から明治にかけての家屋や生活の品々をそのまま保存して公開したものだ。

パンフレットから抜粋
「旧屋号は「伊助」という初代の名前で呼んでいましたが、
平成12年5月の火災で母屋と納屋を焼失しました。
火災以後、保存地区の核になる施設の復元をという行政、住民、来訪の
方の物心両面のお力添えで、平成14年9月に再建・復元をみることができました。
資料館は母屋を中心に、納屋、倉の3棟で家を構えています。
展示物は地元を中心に、町内外から広く提供していただいて開館することが出来ました。」

印象に残ったのは、いろりのある母屋の奥の新婚さんの部屋だ。
窓がない小さな3畳ほどの板の間の戸を締め切ってしまうと、
はだか電球の照明をつけなければ、真っ暗闇だ。
縁に沿って鏡台や、枕、裁縫箱などが並べられていた。

また、藁細工と一口に行っても、さまざまな品々があるのも、
興味深かった。
草鞋、赤ちゃんを入れる丸い籠、背負子(しょいこ)蓑に傘、
そして屋根を葺く萱。
これらは全て植物性だから地球に優しい。

ひとつの素材でたくさんの工夫をしながら道具を作った
昔の農民たちのリーズナブルなアイデアだ。

倉の1階には、文楽の浄瑠璃見題と衣装も展示されていた。
「時代劇のかみしもより、意外と小さいよね。」
「私たちと同じ背丈くらいかな?」
「西洋人から比べると日本人は小さいけど、昔の人ってもっと小柄だったんだろうね。」

住まいの特長は、
「京都北山型の農家住宅の母屋34棟のうち、かやぶき29棟、鉄板覆い6棟、他は瓦葺、鉄板葺きとなっています。
かたぶき以外の家も、かつては大半が杉皮ぶきであり、大部分が築100年以上で、同じ間取りや、構造をもっています。
全体の家が比較的大きいのは、村中持ち山(惣山)等での用益権のもとで、用材の調達ができたことと、相互のたすけあいの力があったことを
物語っています。
庶民レベルでは用材、屋根材料、燃料を含め、住居空間とあわせた住まいの文化では、天下の三都(江戸・大坂・京都)よりもはるかに高いレベルを維持してきました。」

…というわけで、どのお家もなかなか立派で大きい。
そして住民の結束力、絆も強い。
美山の子どもたちのとてもお行儀のいいことを、11月の実習の際には、
なんとなく感じていた。

そして、エコロジカル!
ゴミ箱はない。作るとそこに捨ててしまうから、外部のものは持ち帰らなければならない。

一見、美しい山々に囲まれた桃源郷を思わせるが、
「郷に入れば郷に従え」という、自然と共存しながらの不文律は
けっして「ゆるくない」
当然、昔ながらの半強制的な村人の寄り合いや、嫁イビリなんかも現存している。
プライベート、自由気ままな休日もお正月もない。
きっと今頃は、村の女性たちが総出で、3日間のおせち料理を拵えるのに
どたばたしていることだろう。

美山ならではの、助け合いは、度々起こる自然発火の山火事に備えて
自衛の消防団があることだ。

こうしたお互いがお互いを見守り、監視しあうという独自のコミュニティシステムは、非行や犯罪のしようもないというのだ。

この頃は、かやぶきブームの美山の村興しにつられて、都会の喧騒から逃れて移住する人々や、団塊の親の代に村を出たが、就職もないなどの理由で、団塊ジュニアのIターン移住も徐々に増えている。
しかし、移民の受け入れは、美山においても、世界共通の問題と言えそうだ。

「あんたは、里がえりするところもなくていいわね。私が死んだらどうするの?」
耳が遠くなってきた母がそう言い放って、買い物に出かけた。
どうするのかな~?
ちょっと、ラベンダースティックを嗅いで、考えよう…

とにかく、昔の人はすごいと思う。何もないところからいろんな知恵を出し合って生き延びてきた。日本の中に現存しながら、大都会の流れに左右されることなく、その独特なプライドを保っているミヤマヤンの
威厳に触れた気がした。

わたしなんか、今日ものらりくらりとPCに向かって好きなことを気ままに綴っている。

11時半に資料館を出て、久やのご主人に車で、次なる目的地の
「自然文化村」へ送ってもらった。
あいにく、25日のクリスマス以降は休館で、土日限定の名物バラ風呂も楽しめなくて、がっかりだった。

元美術の先生だったM氏にバトンタッチで、閉まっていた店をわざわざ開けてもらって「手作り体験館」でのワークを楽しんだ。
挑戦したのは、「ドリームキャッチャー」
ネイティブアメリカ・インディアンのおまじないグッズだ。

見た目はそんなに可愛いって感じがしない。
ワックスでコーティングされたタコ糸を、藤の枝をワッカにしたものに
網目模様を作りながら、内側に向かってひたすら巻き付けていく。
中心は開けておくと、網目にいい夢は引っ掛かり、悪い夢は中央の穴から抜けていくという言い伝えがある。
○枠の上にはぶら下げる為の紐をつけ、真下は4色の自然を象徴する
モクセイビーズの端に、縞ふくろうの羽をつけて出来上がり。

所要時間は、1.5~2時間でお値段1600円だから、安いとは思わなかったが、
保母さんの私としては、作ったあとも飾って楽しめることに醍醐味があった。
Oちゃんも小さいサイズのドリームキャッチャーを作って満足そうだった。

27日に帰宅して早速、ドリームキャッチャーを頭の上に吊るして眠って試してみた。
わたしは、滅多に夢を見ないし、見ても覚えていることも少ない。
昨晩、瞼を閉じて間もなく見た夢は、I先生の夢だった。
かなり鮮明に憶えていた。

どうしてだか、わたしは肩を強張らせてかなり緊張しながら「はとぽっぽ体操」を踊っていた。
これは、試験のシーンだ。
ABAのI先生は、この幼児教育界では著名なダンスを全く知らなかった。わたしに存在を気付かれないようにこっそり隠れて観察していた。
I先生の顔は全く隠れていて、首から下だけが覗いていた。
そして、私にはI先生が隠れて観察していることがわかっていたが、
それを知らん顔して踊っていた。

さて、この夢は正夢になるんだろうか?
夢分析してみよう!
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