日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。
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HAPPY MY BIRTHDAY
2006年01月06日 (金) | 編集 |
2006年度の6日目。
いよいよわたしの誕生時刻が迫ってきた。

今朝のニュースでは、生まれて10日の赤ちゃんが
何者かに誘拐されたと報じていた。
新年早々、なんという事だろう。
どうしてこんなことをする人が増えているんだろう。

犯人さん、あなたにもお父さんとお母さんがいて、
お母さんは苦しい思いをして産んだんだよ。
あなたが大きく成長するまで慈しみ育ててくれたんだよ。
一体、あなたの人生にその行動をしなければならない
何があったというの??

おっと、熱くなってるなあ…
今日も、雪国はお年寄りが家の中に埋もれていて雪かきも儘ならない。
除雪にかかる経費も20万から30万円もかかるそうだ。

さて、ゆきんこは只今、なんと10年前の懐かしいお気に入り
アーティストのBGMをかけて、ご機嫌さんである。
「傷つけあうより、素直な心と微笑み選んだの
優しさ忘れて暮らしていたこと初めて気づいたの
輝いていた頃の私に再び戻って」

お送りする曲は、アルバムIMPRESSIONSから「♪もう一度」
アーティストは竹内まりや
朝のトーク番組では、森光子さんが、竹内の作詞、パートナーの山下達郎の作曲の歌をプレゼントしてもらったとか。

昨日、ハローワークを後にしたわたしは、G美術センターへ向かった。
H市の市街地から隣駅のG駅の沿線に小学校時代4年間住んでいた。
いつ通ってもとても懐かしくなる。

あの頃、通りでゴム段をした友達の子どもたちは
年賀状の中で小学生になっているのだろう。
でも、私たちの子ども時代の遊びは殆ど踏襲されていないように思う。

なぜ、こんなにも懐かしいのか。
ゆきんこの初恋の思い出もここに詰まっているからだ。
この頃、コミュニケーション力が備わっていないと相手に伝わらない
云々の番組や記事もよく目にする。
わたし自身が常にそれに苛まれ続けてきた。

わたしは、当時から内気な大人しめの女の子だったと思う。
でも、あまりクラスの周囲のことよりも、自分の内的世界を充実させることの方が好きで、休み時間もじっと机に座って過ごしていた。

障碍のある子どもたちの存在も、
既に小学校2年生ごろから、気に留めていたように思う。

自分の誕生日にこれから書こうとすることは、なんだか変かも
知れないけど、ここ数日気になっていた男の子がいる。

7歳当時の初恋の相手は、同じ2年3組の中にいた。
隣合わせの彼の似顔絵を同じ班の友達よりも念入りに描いたことも思い出す。

でも、気になる男の子というのは、「♪年下の男の子」なのだ。
年下といっても、まーくんは同じ年の12月生まれで、学年が1つ下だった。
そして、小学校5年で転居のためにこの地域を離れてから思春期を経て、
成人後も長い間会うことはもちろん、思い出すことも無かった。

しかし、22歳の時に彼と最期に無言のお別れをした。
当時の彼の友達や、彼女も集まってうつむいていた。

私には幼い頃、彼の勉強部屋で年の離れた弟が生まれたときに
「二人の赤ちゃんみたいだね」とかなんとか言って
かなりリアルなお母さんごっこをしていた。

幼稚園から小学校まで一緒だったが、クラスはいつも隣り合わせで、
母親同士が幼稚園の同僚で、ご近所という間柄だった。
でも、その頃の私は、まーくんの気持ちに本当に鈍感だった。
毎日遊んでいたのは、もちろん女の子ばかりだったが、
意中の男の子は、遠くから眺めているだけで、
自分から話しかけるなんてことは滅相もないことだった。

まーくんは、なかなか機転も利いて、知らず知らずに至れり尽くせりという感じで時々遊んだものだ。
彼のことをなんとも思っていなかったから暢気に遊べた。

彼はわたしの転居した先にも、お母さん弟と一緒に遊びに来てくれた。
確か、当時流行だったマグネットが裏返るオセロゲームを楽しんだ。

まーくんのことは、あくまでも友達で幼なじみだったけど、
わたしは男女のそんなスタンスに今でも心地よさを覚える。

もう思い出の中でしかまーくんに会うことはない。
彼は22歳でこの世を去った。
バイク事故で頭蓋骨がめちゃめちゃだったので、
お通夜では棺の中を見ることもできなかった。
少年のころから端正なハンサムだったけど、
青年になった写真を見せてもらった限りでもなかなか立派な感じがした。
はっきりと脳死状態だったが、マラソンで鍛え上げられた心臓の鼓動は
なかなか止まらず、その間、彼のお母さんは半狂乱状態に追い込まれた。

写真には、雄雄しく走る姿が映し出されていた。
有名私大の陸上部の4回生で、箱根駅伝に出場することを嘱望されていた
矢先の事故だった。
それまで、思春期をただひたすらに走り、恋もしただろう。

同世代といっても、いつどこでどんな風に出会うのか、
大人になって社会的な地位が明確になると、
真心や素直な気持ちで人と接することが難しくなる。

まーくんは、性別も感情も何もかもを凌駕している特別な存在として、わたしの胸の中に残る優しい思い出なのだ。

ねえ、まーくんどうして今頃現れたの?
天国で、思いっきり走っていてよね!







さて、昨日の続き…
そんな思い出いっぱいのK沿線を自転車で走りぬけ、
G山の急な坂道を登りきったところにG神社があり、
2度目のお参りをした。
参拝したときに社の鈴の上をながめていた。
メモを取り忘れたのだが、「真心で精進しよう」という内容が書かれていた。
お参りが終わって神社の鳥居の入り口で、見知らぬ初老の女性とすれ違い
「明けましておめでとうございます。」
と新年のご挨拶。

自転車を移動させ、G図書館へ入った。
お目当ては、クリスマスの時分にリクエストしていた絵本。

みんなのうたの宇佐美森
♪ある日、クロはふらりとでたままこの夜空になった
きみにあえたことがたからもの
同じその景色の中で
今も…
ずっとずっとそこで
ずっとずっと見てて

「ぼんさいじいさま」木葉井悦子(偕成社1984)
「ぼくはねこのバーニーがだいすきだった」ジュディス=ボースト(偕成社1974)

ちょっと古めの絵本だけど、以外にマイナーでどんな本なのか
読んでみたかった。
いずれも命の大切さ、かけがえのなさをそれぞれの作者が
素敵な絵と共にさりげなく伝えている。

ぼんさいじいさまは、じいさまが育てた身近な動物や盆栽の素敵な
庭に別れを告げて、ひいらぎ少年の導きで黄泉の国へ旅立っていく。

バーニーの方は、こんな書き出し
「ぼくの だいすきな ねこの バーニー、
きんようびにしんじゃった。
ぼく、とってもかなしかった。
ないてテレビもみなかった。」

私にも似たような体験があった。
大学時代、K先生の最後のゼミ生だった。
多分、最後だろうという予感があって入れていただいた。
ヒロシマで被爆され、当時既に、パーキンソン病を患っておられたK先生に
殆ど指導らしい指導も受けずに、初めての論文を書き上げた。
お見舞い方々、盆栽をプレゼントしたことを思い出した。

また、思春期から社会人になるまでの7年ほど、
うちではネコを飼っていた。
高校時代、漫画研究会で、自作の同人誌などを描いていたが
17歳当時その飼っていたネコをモデルにした
「ぼくは 猫である」という作品を今も大切にしている。

そして、合わせて3冊の本も借りた。
ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」
高橋健二氏の翻訳だが、その隣に
同じ高橋氏の書いた「アルプスの少女ハイジとともに」
「評伝 ヘルマン・ヘッセ」ラルフ・フリードマン(2004草思社)

どの本も昨日から読み始めたばかりだけど、
これは、自分で自分にあげたプレゼントみたいなものだ。

ヘルマンにも、ハイジの作者ヨハンナ・シュピーリにも、
わたしは名著を生み出した人となりや、人生の背景にとても惹かれた。

ヘルマンは、40にして水彩画を本格的に始めたこと。
幼児期は、彼は狂気染みた子どもで、障害児施設に一時閉じ込められていたこと
ヨハンナも、子育てを一段落してからあの名作ハイジを執筆したこと。
二人とも敬虔な牧師の家に生まれ、厳格な教育を受けつつも、
2つの大戦を経て、ナチス・ドイツにも抵抗してきたこと。
「春の嵐」は、とても美しい表現で、事故で不具になった音楽家の恋愛の心模様を綴られていること。
「ハイジ」と「春の嵐」「ぼんさいじいさん」は、いずれも
障碍者の問題をさりげなく優しく取り上げてもいる。

図書館でヘルマンの自叙伝をメモに取りつつ、しばらく読み込むと
お腹が空いて、4時半に席を立った。
これら5冊の本を自転車の籠に詰め込んで、ルンルンで自転車を走らせ、
「チカンにちゅうい!」の看板3つもサーっと通過し、
突き当りの保育所のフェンスの中に、見覚えのある3人の女性が寒そうに相談している姿が目に飛び込んだ。

2番目に顔を確認したのが、昨年4月から6月の3ヶ月を過ごした
4歳児クラスの担任、K先生だった。

「久しぶり~」
私は屈託なく、彼女に微笑むことができた。
でも、彼女は殆ど無表情に私を見据えていた。

さて、誕生日にセルフ・セラピーカードを引いてみた。
「真実 TRUTH」のヒーリング(癒し)カードカードの示す絵は、男は背広、女はエプロンを脱ぎ捨て、
手をつないで果てなく続く道へと歩いていく姿だ。

そして、星占いは
「絶好調。主役になれるとき。存在感がぐっと高まり、言動の影響も大」

ほんとかな~?
果たして、これはゆきんこの何を暗示しているのだろう。

それで、竹内まりやを聴いてみたかったのは、
「春の嵐」を読んでいるうち「♪恋の嵐」を連想してしまったから。

こうして、失業中にも拘らず、ひとりよがりにトキメクことがわたしはお得意なのだ。
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2006/01/06 14:10 | 読書 | Comment (3) Trackback (0) | Top▲
コメント
この記事へのコメント
お誕生日おめでとうございます!

思えば私が緘黙とお別れした時、ちょうど引越しをしたの。車で15分ほどでそれほど遠くはないんだけど、それも心機一転できたきっかけでもあった。
小学校中学校と過ごした街は嫌な思い出ばかりなんだけど、最近ちょっと歩いてみたくなったりもする。子供の自分が居るような気がしてね。。。

若くして亡くなられた幼馴染の男性がいらっしゃるんですね・・・。悲しい出来事ですね。
人との出会いって不思議ですね。大人になってからの出会いは人を選んでしまう場合もあり・・・幼いときの出会いは大切にしたいですよね。といっても、私は幼い頃の知り合いなんていないんですけど。。。
2006/01/06(金) 21:31:28 | URL | 野ウサギ。 #-[ 編集]
ゆきんこさん、こちらでは初めましてになります。
何度かこちらへは来ていたのですが、
なかなかコメントを残せず失礼しておりました(^^;

遅くなりましたが・・・
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
それから、お誕生日おめでとうございます!
1月6日なんですね。私の息子と同じ誕生日なので、
ちょっと驚きました。

幼馴染みの男の子のお話・・・衝撃的でした。
ゆきんこさんにとっては、悲しい思い出なんでしょうか、それとも良き思い出なんでしょうか。

私にも小さい頃から小学生ぐらいまで一緒に遊んだ近所の子が数人いたのですが、徐々に疎遠になってしまって、今では消息不明だったりします。風の便りに結婚したとかは知っていますが。

ずっと会っていなくても、子供の頃の楽しかった記憶って意外と鮮明に覚えているものですよね。ゆきんこさんの記事を読んで、いろいろと思い出しました。

また来ますね^^
2006/01/07(土) 06:10:34 | URL | るい #uvrEXygI[ 編集]
るいさん。ようこそおいでくださいました。
誕生日の初訪問嬉しいです。
こんな巻物みたいなブログですけど、無理しないで
楽しんで読み流してくだされば、幸いです。

野ウサギちゃん。いつも心の篭ったコメント
とても嬉しく思っています。

わたしは過去の仕事柄と、自分の幼少体験とが、
ついついオーバーラップしやすいんですけどね。

お二人に優しいコメントをもらって、
女好きのマーくんも、満足してるんじゃないかしら。
どうもありがとう!

マーくんについては、死んでしまった人って、
やっぱり美化されるんでしょうか。
良き、美しい思い出ですね。
「オザキ効果」みたいなものです。
多分、生きて他の誰かと結婚して子どもがいたのなら、
また印象も変わるでしょう?
おじさんになって、おじいさんになって…

るいさん、わたしもまたお邪魔しますね。
2006/01/07(土) 13:02:10 | URL | ゆきんこ #-[ 編集]
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