ゆきんこの引き出し

日常の当たり前の何気ないことの中に 「あっ」というささやかな発見を一緒に 味わってくれませんか? でも、もしかすると、見過ごしている当たり前でない大発見かもしれません。

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昨日は、終日強行ハードスケジュールだった。

1日も出かけないときは、終日自宅のPCの前にじっとしていることもあるけど、一度外出すると、めんどうなので複数を梯子することが、
この頃増えてきた。

時系列に頭の中のDVDを再生したがるゆきんこの脳ミソなんだが、
(DVDはないからね)

まずは、初日の大学院から巻き戻してみよう。
Oちゃんの自宅へPCを返して、正午今宮恵比寿へお参りした。
新世界の商店街を抜けて「づぼらや」でふぐうどんを食べて腹ごしらえしてからスパワールドの午後を満喫した。
午後6時過ぎに手を振って別れ、新今宮駅から神戸元町へと向かった。

JRの電車の人込みに紛れると、新年気分はすっかり吹き飛んでしまう。
7時半ごろに大学院に到着し、小さな図書室に入ると、いつになく
賑やかだ。
「数日徹夜の連続ですっかりハイだわ~!」と言いつつも、
修士論文を無事、提出した直後のN先生の表情は、なんとも言えない
清清しい感じが伝わってきた。
その他の臨床心理コースのM2の同窓生たちが、総出でギリギリ提出の
方々の助っ人の真っ最中だった。
こんな光景を見るのは初めてだった。

私は埋め尽くされた読書机から逸れて(1月8日の初夢と同じやン)
図書室の一角の各心理学会の論文集をパラパラと捲った。
弥生桜さんとの約束が私の念頭にあったからだ。
案の定、どの冊子にも緘黙に関する論文はなかった。

8時前に5階に移動して、廊下のソファに腰掛けて、ABAの初講義を待った。
すると、そこへN先生とF先生がスタスタとかけて来た。
「さあ、今からゼミをするぞ。君も来なさい。今日は講義はしないから。」
「え?今日は講義ないんですか。でも、私先生のゼミ生ではありませんから…」
「いいから。」
私は、リュックと上着を丸抱えにしてF先生について移動した。
エレベーターの前で、F先生が見知らぬ教え子の先生に新年の挨拶を
交わし、私も改めてお辞儀した。
「先生、ご挨拶が遅れました。今年もよろしくお願いします。」
「はい。」
エレベーターではF先生はいつもレディファーストだ。
「どうぞ。」
「ありがとうございます。お先に。」
欧米で留学経験のあるジェントルマンは、こうしたささやかな行動に
卒がなく、ちょっとお姫様気分になって嬉しい。

バタバタといつものゼミの小部屋に入ると、常連のHさんがお待ちかねだった。
「さて、今日はまだ話してない人にしよう。誰かな?」
「はい。」と私は即座に挙手して、座ると口を開いた。
「待って。M2の二人が来てからだ。」

しばらく待機して、ゼミ生のN先生が引き戸を開けた。
「すみません。もう少し手伝って、そのまま打ち上げに出ます。」
「そうか。わかった。お疲れ様。」
「あの、私も手伝えることありますか?」
「いえ、大丈夫です。」
「君はM1だろう?M2の仲間で何とかするよ。
それじゃあ、頭の中にあることを言ってみて下さい。」
「はい。私、9月末にアルバイトの契約が切れて仕事はありません。
秋ごろまでは、これまで細々続けてきた自閉症の子どもを対象にした
家庭訪問療育とペアレントトレーニングをテーマに考えていましたが、
事例もありません。
年末年始にかけて、8月からはじめたブログを通じて緘黙症の方々と
知り合いました。もちろん面識なんて全くないのですが、
彼らは、その存在を知られずに苦しみ続けてきたことを知りました。
専門の文献や研究者もどうやら少なくて、お座なりにされているらしいのです。」
「ブログ?なんだかああいう実体のないやりとりは、気をつけたほうがいいぞ。それに、一体どうやってそんな人たちとつながるようになったんだ?」
「よくはわかりませんが、ブログを作っている人たち同士で、
共通の項目を探し出してアクセスできるのです。わたしの場合は、
大学院の内容も含めて詳細な日記を公開してるに過ぎません。
11月の終わりに、幼年教育コースでプレゼンテーションする機会があり、自分自身を事例にして緘黙のことを開示したことをブログに載せたところ、アクセスしてくれた人がきっかけでした。」
F先生は私の顔をじっと見た。
「まてよ。君が緘黙?ここでこうしてちゃんとしゃべってるじゃないか。その笑顔だってちっとも不自然でもなんでもない。」
「先生は、最初から大丈夫でした。初めてお目にかかってゼミを見学させて欲しいとお願いしたとき、『どうぞ』と仰ってくださったので
安心できたのです。わたしの場合、最初がいけたらいいんです。」

「へ~、そりゃ肝腎の最初が好印象でよかったね。私はコワんだよ~。じゃあ、緘黙になったときはどんな風になるんだい?」
F先生は笑顔で質問を続けた。

「面接はダメです。落ちるために受けてるって感じです。声が上ずってビブラートします。何度も同じ繰り返しで辛くなるので、就職支援セミナーも梯子すると余計に落ち込みます。」
「そうだなあ。鬱の奴でそんなこと言ってたな。面接では能面みたいに
固まって落ちてしまうって。緘黙の理由は何だ?」
「父から虐待を受けていました。」
「あ~!君はお父さんから叩かれていたのか!!被虐児だったのか!!」
F先生は右手を額に当て、眉をへの字にして憐れんでくださった。

「場の雰囲気にも弱いので、昨年1年は保育現場では休憩時間なども
保育士たちが怖くてだんまりでした。行く先々で怖い上司がいて、
2時間もの執拗な説教があると、父の虐待がフラッシュバックするから、
涙がとまらなくなるんです。母にはいい加減いい大人なんだから
職場で泣くのはやめなさいと言われるのですが。
父と別居して何年も経ちましたから今でこそこんな感じですけど、
20代の頃はもっと沈んでいました。俯いて中学校に通っていました。」

「なるほどね。だから、上司がいない方がいいんだったら、僕は自分で自営ことを薦めている。
1日4~5ケース、1日1時間通常5000円~1万円を格安で2000円にしてあげたら、なんとか食べていけるさ。」
「そう思っていて、反対があってずっとできずにいました。
5年間、療育施設で働いて自分でやりたいからと辞めて、専攻科へ進学し
ました。でも保育士になるとT先生に言ったら、何言ってんだと。
最初の保育所も4ヶ月しか続かなくてそれ以来、転々としていました。」

そこへ、もう一人のゼミ生のKさんが入ってきて論文を提出した。
「Kさんは、3年の長期履修だから、正式の提出は来年度なんだが、
もう1年あるから、英語の論文読解でもみっちりやったらどうだい?」
「先生、ダメです。中学英語からやり直さないと。この科に入れたのは
受験のときに英語がなかったからで、ホントよかった。」
「あ~、英語できないから、入学出来ないわ…」
「今からやりなさいよ。いつからだってやろうと思うことに年齢なんて
ないさ。」
「私も英語やり直したのは、30歳からです。今年はハリーポッターの
原著1日2ページ。元旦から読み始めて、25~30ページ読みました。」
「へえ、すごいじゃない。」
「去年まで5年間、この時間は英会話を楽しんでました。初めは、
中学の初級英語から初めてある程度自信がついたから、受験しようかなとそれも、動機になりました。」
「5年間英語をしていたのは、どうして?」
「T先生に修了するときに英語ができなくちゃダメだと言われたからです。」

F先生はまた私の顔を見つめた。
「へ~、君、T先生の研究室にいたのか。私はこの頃T先生によく会うんだ。失語症からLD、LDから高機能自閉症と、T先生はその時代の潮流に乗って行くのがうまいんだなあ。」
「本当は、I先生のゼミに入りたかったんです。
2年前に、LD教育士の講義でI先生の講義を初めて聴きました。
もうおかしくって、笑い転げていたんです。会場で『H大学のサテライト
受けてください』って宣伝したから、は~いって単純に受けました。
ABAのAの字も何も知らなかった。最先端の心理学っていうのも
引っ掛かって偶然、梅田の紀伊国屋でI先生のABA入門を見つけて買いました。マニュアルどおりに試してみたらかなり上手く行きました。
なるべく叱らないでほめてあげるだけでいいんだって、
ただそれだけでした。
10ヶ月間予備校にも通って心理英語にも取り組みました。
でも、結果は、第1志望は不合格でしたけど。
後期からABAがようやく始まっていつI先生が来るのかと心待ちに
してました。でも、来られないんですね。」

「なるほどね。T先生といい、I君といい、時代の流れを上手く捉えて
いく人間は人を集めることも上手いんだろうな。自営するにしたって、
宣伝力、集客力が大切だ。」
「それがなかなか上手くいかないんですよ。」
「はい。自分自身が商品として是非ともあなたにと価値ある存在であることが大切と、起業セミナーでも言ってました。でも、怖がりだし、
自信がなくて・・・」
「人生なんて死ぬまで進んでは立ち止まり、考えて歩き出す。それで
いいじゃないか。生き方はいくつかにカテゴライズされるだけだよ。
死ぬか、病気になるか、ホームレス、自分で働いて稼ぐ、誰かに依存して相手を働かせて食わせてもらう。つまり結婚だな。そのどれかだ。」
F先生は、人差し指から順番に指を出した。
「私は、4番目がいいです。」
「それが一番健全で合理的だろう。発達臨床心理研究センターの
事務員をしていたTさんが、契約が切れてから一念発起して
O市で障害児の療育指導を自営で始めたんだ。うまく軌道にのって、40ケースを持っている。障碍児は純粋だからね。真心で指導すれば、必ず
それに応えてくれる。大人になるまで親身にサポートしてあげれば
彼らの役に立つし、きっと保護者の励みや支えにもなるはずだ。」
「見学に行ってみたいです。」
「年賀状が届いていたから次週Tさんの連絡先を教えてあげよう。」
「ありがとうございます。」
「あの、私も便乗していいですか?」
「ええ、一緒に行きましょう。」

ABAの諸先生方は、実のところはユルクナイ。
障害者であっても、「自立」を推奨する。
ABAの真髄は、オペラントに行動することだからだ。
ホントに冬の寒さのように厳しい。

依存しようとしなだれかかれば、その時はプロンプトで支えてくれるけど、
その力をさりげなく緩めて、手を離す。そしてお月様のように冷ややかに見守っている。
「ほら、自分で立てるわ。彼方を遠くから見守っているわよ。」

やっぱり、結局「己こそ己のヨルベ」なんだな。
今、ふっと思い出したんだけど、一昨年の冬
ニュージーランド、マオリ族の留学生ケーシーと話した。
やっぱりってことばは、英語にないんだけど、便利な表現だ。」
と彼は冒頭の口癖にして流暢に日本語を話していた。

英会話の帰り道、旧街道を市街地までマンツーマンでサイクリングしながらヘタクソな英語を聞いてくれたことが懐かしかった。
南半球のNZは今、真夏。
2年前、私がプレゼントしたコタツの上掛けを彼はどうしたかな?

また英会話行きたいな。もうすっかり話せない。

TVの上の二つの小さな雪だるまは今見たら、頭と頭をくっつけて立っている。これは、「人」っていう原型の絵文字に似ている。

ぞうきんは一枚、ぞうりは一足、ぶつゾウは一軀(いっく)と数える。
いろんな「ぞう」の数え方がある。

さて、今日も寒いけどI先生のゼミに出発進行、エイエイオー!
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2006.01.11 16:08  | # [ 編集 ]












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