初鑑賞は 「ベルサイユのばら」

昨日も終日お出かけだった。
目的は1月のメインイベント宝塚歌劇「ベルばら」の観劇だ!

出かけるまでに少し時間があったので、
宮中でオンエアされていた歌会始(うかたいはじめ)を視聴しながらまずはブランチ。
今年のお題は、ゆきんこの抱負でもある「笑み」である。
「赤とんぼ 群れ飛ぶ秋の真ん中で 母の笑顔を 押す車椅子」
「われ笑めば、母も笑まひぬ おほかたの 過ぎ来し日々は 忘じ給ふに」
「子どもらのましてや老いの笑まぬ顔 ひとつもあらず 古きアルバム」

などなどの初歌が披露されていた。
いずれも、テーマはなんとなく少子高齢化って感じしませんか? 

旧友のSちゃんが、取りにくいチケットを苦心惨憺(?)してゲットしてくれた。
Sちゃんと2005年の10月に初めて宝塚歌劇を鑑賞したのがきっかけで、
「ベルばらも見たいね~」と言っていた。
11月の終わりから、前売り券の販売が始まり、12月の初めにはとうに
完売していた。
12月は、職業訓練校の見学や選考会があり、予定が立たない状態だったのだが、選考会に落ちた直後にSちゃんが、急遽手配してくれたのだった。
改めてSちゃんに、感謝!ダンケ!

13時半に梅田のビッグマンで待ち合わせしていたが、
少し早く着いたので、紀伊国屋書店に立ち寄り、心理学のコーナーを
目指した。緘黙症の本を探そうと思った。
うろうろと書棚の通路を歩いているうち、幼児教育のコーナーに
足を停めた。

アッ!!
私は何を発見したのか?
なんと「こぐま幼児教育研究所」の諸々の教材だった!
まさか、1月8日の初夢は正夢なのか??

咄嗟に2006年の真新しい手帳の1月12日の欄に書き込み、
再び、BIGMANのスクリーン前に小走りで戻ると、Sちゃんが待っていてくれた。
「明けましておめでとう!お誕生日会も兼ねて今日は楽しもうね。」

13時40発の宝塚行き快速急行に乗って、宝塚へ。
電車の中で、年末年始の近況やブログのことを話した。
「今年の積雪、尋常じゃないね。雪が滅多に降らない街に住んでること
自体も有り難いことなんだろうね。」
「もし、ドラえもんがいたら、どこでもドア欲しいよ。」
「私も。時間も交通費も省けていいのにな。」
「ある程度のことは科学技術の躍進で何とかしてきたのだろうけど、
時間のコントロールに関しては、SFの域を出ないだろうね。」
「過去は振り返って、子ども時代描いていた自分の将来と随分違うんだなと思えるけど、未来が予めわかっているなんてつまらないよね。」
「そうだね。明日何が起こるかわからないから、楽しいんだもの。」

今年初めての宝塚歌劇の前には人だかりがいっぱい!
正月気分もすっかり抜けた平日の真昼の光景とは思えない。
男性の姿もチラチラ垣間見えるが、殆どが中年以上の女性たちだ。
「はぁ~、さすがベルばらだね。」

2時半に2回目の開場があって、今回は中央のA席でなかなか鑑賞するには
いい座席が取れた。内装もコテコテに女性好みのばらのモチーフが
装飾されていた。

途中、幕間の休憩を挟んで3時から6時までの3時間をベルばら一色に
満喫した。

印象的なのは、何といっても主役のマリーアントワネット
14歳でフランス王妃になり、異国のスウェーデンの貴公子
フェルゼンとの禁断の恋(これが、いつの時代も女心をそそるんだな~)
フランス革命で全てを奪われ、気高くもはかなく30歳の若さで断頭台に
昇っていくラストシーンで幕を閉じた。

マリー役の白羽ゆりさんの熱演ぶりに、ただただ感嘆とため息の出る思いだ。
艶やかな透き通る声が、音楽好きなわたしの脳ミソを官能的にさせる。


神様は意地悪だ!
どうしてこんなに容姿端麗、才色兼備、最高の芸能センスを兼ね備えた
女性が宝塚という殿堂に集約されているのに、
ストリートチルドレンの描いた居心地のよい場所は、生まれる前の
子宮の中だ。

フェルゼンに密かな思いを寄せるオスカル、オスカルを命がけで
守り抜こうと身を挺する幼なじみのアンドレの恋
「思う人には思われず、思わぬ人に思われて」のやるせない
4角関係は、どんなことばの表現もない。
(でも、こういうのがなぜかヒットするんだよなぁ)

ベルばらの魅力は、ドロドロのストーリー展開にもかかわらず
革命前のフランスの栄華を極めた煌びやかな貴族社会の在り様が
なんとも言えず、うっとりロマンティックにさせるのだ。

「君の全て、君の身体に流れる血潮の一滴まで愛している
こんな台詞は目の前のダーリンが言ってくれるはずないもの。」
「諸外国の男性はちゃんとI love you って言うもんね。」
「男装の麗人だから、女の人の心を掴む理想の男性像に徹することができるんだろうね。
でも、天海祐希さんって、1991年度のアンドレ役で脚光を浴びたけど、
宝塚時代のことについてはあまり語りたくないらしい。
お決まりのイメージじゃなくて、自分らしい俳優でありたかったらしいよ。私、ファンなんだけど。」
「Sちゃんの好感持てる女性像なんじゃない?」
「そうよ。ゆきちゃんはどう?」
「わたしは、保育士だし、自分が子どもっぽいからなあ。
昔からミンキーモモとか、ハイジが好きだった。ハイジごっこなんて
小学校の高学年になってもやってたよ。」
「ハイジになりたいんだ。」
「そういえば、ハイジって実は、障害者の話なんだね。今まで意識したことなかったけど。」
「そうだよ。」

涙をそそるベルばらのクライマックスは、
地位も名誉も夫も子どもも全て失った死を待つだけのマリーの台詞だ。
「どうか、わたくしを愛しているのならこのままフランスの王妃として
死なせてください。いえ、わたくしは王妃である前に、
あの子たちのなのです。」

ウルルルルルル~
ワサビ効果とタマネギ効果が私の両目を新年早々涙で曇らせた。

子どもを産んだ以上は、どうなってもこうなっても母という
呪縛から不倫以上に逃れられないのは「女の性(サガ)」かなぁ。

理想の男性を演じきる男装の麗人のアイデンティティとか、
深層心理ってどんなかしら?

午後6時カーテンコールを見納めて、劇場を出ると外はもう真っ暗だった。
梅田の阪急3番街に最近新装オープンした和洋折衷のイタリアンレストランでスパゲッティのディナーセットに舌鼓を打った。

長年付き合ってきた聞き上手なSちゃんに、またもや大学院や研究の構想をベラベラとしゃべっていると彼女は私を優しく見つめてこう言ってしてくれた。
「ゆきちゃん、本当に勉強が好きなのね。職場ではちっとも生き生きできないのに、そんなに楽しそうに話すなんて大学にいるあなたはまるで水を得た魚のようね。」

「そう?私変ったかな?」

「おしゃべりになったよ。だいたい、一度大学を出てしまったら、
普通は研究とか論文なんてめんどうくさいものだし、仕事よりも
勉強の方がいいってそっちを選ぶんだからその方が合ってるんだよ。」

「そうかもね。もう保育所に行ってもここまで来たら雇ってもらえないもの…」

「そりゃ、雇う方だって扱い辛いわよ。狭き門かもしれないけど、
研究の道も考えてみたら?」

「そうだなあ、多分、研究者の助手みたいなのが合ってると思うな。
ストレートで院に行きたかったけど、中高時代は、親父殿が10年間も
引き篭もって全然勉強できなかったんだ。それで、母に負担をかけたくなくてその時は、断念したけどね。」

「あなたって、何のかんのいっても真正直にここまできたじゃない。
昔辛い思いをたくさんした分だけ、これからはきっといいことが待ってるよ。人生って収支はおんなじになるような気がするな。」

「ありがとう。Sちゃんから見て、私に合うパートナーってどんな人だと
思う?」

「うんと年上がいいんじゃない?」

「やっぱり、ハイジだからおじいさんとか?」

「そんなに年上じゃなくても、包容力ある人がいいでしょうよ。」

「そんな人いるかしら?」

「諦めなくていいよ。結婚だってご縁のものだし、結婚しないで、
お互い別々の暮らしをしながらも、パートナーだという気持ちを
持ち続けていられるのなら、それが一番理想的だと思うけど。」

「そうだね。ところで、私の話は面白い?人によっては退屈させやしないかなと、友達も限定されるからね。」

「ブログの話といい、大学院の話といい、そんな話題持ってるのは、
ゆきちゃんだけだよ。私たちの年代の女性は、もっと住んでる世界が
狭いもんだよ。友達だって、自然淘汰されて残った人と仲良くやっていけたら、お互いに無理しなくて楽しいじゃない。」

「でも、プライベートの友達は、普通の生活してる人たちで、
私だって全然平凡だと思うけど?」

「カウンセラーの人が言ってたけど、研究や専門家の世界も狭くて、
世間知らずのことが多いから、プライベートは普通の感覚持っておくのが大切なんだってさ。」

「だから、私たち凡人だから、心理学専攻したのに、
臨床心理みたいなドロドロした世界は、ダメだったんだね。」

「普通が一番いいよ。マリーみたいに王族に生まれても、最後は死刑かもしれないもの。」

「普通でよかったね。」

Sちゃんと別れて、読みかけの「春の嵐」のラストページを読み終えた。
水と油みたいな正反対のところに惹かれあったゲルトルートとムオトは、
結婚したのに、愛し合っていたのに、お互い傷つけ合って、苦しくなって別居した。
ムオトは逃げた妻に未練たらたらにアル中に耽って命を落とした。

青春時代に好意を寄せ合っていたゲルトルートと不具のクーンは、
再び友情を温めあう仲に戻ったが、青春時代ほど輝かしい関係は戻らないと、クーンが彷彿とするところでストーリーは終わっている。

一個の人間は人格の一貫性を保ちつつ、瞬間瞬間に変化している。
それを確かめる時間の経過や一定の流れの中で、この地球の上に
生きている。
それが、途方もなく不思議でたまらないことで、小さなことで
くよくよしているのなら、もっと自然に自分にも相手にも何か
楽しいことをすればいいんじゃないかと思えた。

午後9時過ぎ帰宅して、母に聞いてみた。
「研究者ってさあ、ある意味子ども心っているよね。」
「そうなんじゃない?淡々と過ごしている人に新しい発見なんて
できないでしょう?」
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テーマ : ちょっとした出来事 - ジャンル : 日記

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