住友生命 お客様感謝イベント

今日は、阪神淡路大震災から11年目の記念日だ。

直接、災害に遭われて、過酷な歳月を過ごされてきた方々には、
決して忘れえぬ悲しい日なのだろう。
無念にも、命を落とされた方々のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

ゆきんこの住む地域もあの震災の日、地割れの音が響いていた。
倒壊した建造物はなく、時計が倒れた程度だったが、電話は7時を
回ったかどうか、ともかく午前中のうちに混線状態でつながらなくなり、近畿一円の交通機関も止まって、通勤を余儀なくされた。

暢気にテレビを見ているうち、長田地区の火災の現場も放映され、
その日は一日中テレビにかじりついていたことを思い出す。

翌日には、職場に顔を出せたが、神戸エリアではなくとも、
1週間くらいは、軌道に乗らなかった。
当時、療育施設に通ってきた対象児の3割近くは、神戸方面から
1時間近くも電車を乗り継いで通ってくれていたし、
指導員のなかにも、神戸の在住者が1名いたからだ。

別の指導員仲間も、ミニバイクで一軒一軒のご家族を見舞って、
近況報告してくれた。
ライフラインが大阪と神戸を断絶し、小回りの聞く乗り物が震災直後は随分役に立ったらしく、指導員のU君は、精力的に巡回し、ボランティアに勤しんでいた。

私はというと、なす術もなく彼の報告を聞くとか、会員同士で支給の物品を寄せ集めるということしかできず、残った女性指導員で、
通常通り通ってくることが可能な子どもたちの療育を再回した。

1ヶ月くらいは、車中で寝泊りする家族もいて、当時まだ幼児で、
重度の自閉ちゃん家族だっただけに、どんなに困っただろうと回想される。

結局、指導員のKさんは、震災を境に事実上の退職を余儀なくされた。
以後、ボランティア活動に専念する傍ら、神戸方面を新拠点に、フリースクールの主宰として、いよいよ本格的に創始しようと意欲を燃やしていた。

元来、臆病者の私は、震災ボランティアなどという大役は
とても自分にはできないと思い込んでいたが、それでも
そう遠くない神戸の方々の不穏な日々に知らん顔している自分で
いるわけにもいかなかった。

少ない夏休みを2回にわけて、震災以来、ぱたりと療育施設に来れなくなったK先生への思慕もあって、意を決してボランティア活動に参加した。

そこは、全くの異次元空間だった。
JR兵庫駅付近のボランティアセンターの本拠地は、即席の
キャンプ施設という感じで、公園にプレハブ住宅が立ち並んでいた。
にわかボランティアの私にできることといえば、入居者の慰問くらいだった。

それも、考えてみればご迷惑な話だ。
どかどかとよそ者が入ってきて、親切そうな素振りで物見遊山に、
身の上話に聞き入るのだ。
とうとうと語るお年寄りには、ある意味達観した貫禄を覚えたが、
もちろん、閉ざされたままの扉も少なくなかった。

私だったら、絶対誰も入れないだろうと思う。

今朝も、特集番組を見ていると、長年住み慣れた町が、あの震災で
一変し、再建できない空き地のままの所有地を公団の窓から
眺めるある工場主のドキュメンタリーが放映されていた。

私も生まれ育ったこの町に対する愛着は、人一倍だから、
町並みが変わって、もう元に戻らないという切なる思いは
年降るごとに深まるのだろうと思う。

友人の中には転勤族もいるから、「住めば都」と土地に執着しない
性質の人もいるし、心理学的には適応的で、好ましいのかもしれない。

因みに1月17日は、母方の祖父の命日でもある。

宮沢賢治と同い年の祖父は、99歳の大往生。私は当時17歳だった。
この明治生まれの祖父も一人息子の母子家庭で、母親が再婚するのを機に10歳で丁稚奉公を始めた。

大阪で2番目の建築業者の登録を受けたが、儲け根性はそんなになくて、
叔父の代でつぶれてしまった。

両親が離婚したとき、母は実家に戻れなかった。
叔父家族がそれを拒否したからだった。

祖父を看取った母の弟は、3年前に既に他界していたという知らせを
実は、この新年に受けていたのだが、親族に看取られない両親の家系っておかしいんじゃないかと思う。

従って父方・母方の親族共に、あまりにも疎遠な私がよすがにするのは、生誕の住み慣れたこの地縁しかないのだ。
こんな家族環境に育ったから、私は一般社会に対しても概して適応は
芳しくなかった。

そんな回顧ばかりしてると、自分の明日さえ、ブルーにしてしまう。
震災から10年経とうと30年経とうと、あの日、あんなことがなかったらと悔やみきれなくなるからだ。

大人になって、そんなことはお構いなしに、屈託なく笑い合える友達は
一人っ子の私には、お金より何よりかけがえのないものだ。

ベルばらに引き続き、Sちゃんを呼び出して、あるささやかな
イベントに出かけた。
ABAにはまる前から、ゆきんこは大の占い好き。
1月5日に、ハローワークの前で待ち伏せていた女性から度々電話で
勧誘されて、ふらりとイベントに参加してきた。

目的は、★占い 四柱推命 (鑑定士 高橋秀帆)
    ★血液サラサラ診断

H市駅から4つ目の駅に降り立ったのも、初体験!
隣町のK市は田園も広々としていて、このK駅もホームに誰もいなかった。

駅前の建物の一室を開けると、年齢不詳の明るい笑顔の女性たちが
私とSちゃんを熱烈歓迎してくれた。
テーブルにはお菓子も並んでいる。
壁には、えべっさんの竹細工の扇も飾られていた。
まるで福娘さんやな。

「今日は、お友達も誘ってよくきてくださいました。本当にありがとう」
「お電話ありがとうございました。」
「コーヒーいかがですか?それともお茶?」
「コーヒーお願いします。」

何だか好きなものに囲まれてご機嫌モード。
「それじゃ、早速占いしますか?」
「はい。」
Oちゃんと私は、階上のマンションの一室に案内された。
全く普通のマンションの一室で鑑定士さんが、座卓に座って待っていた。こんなのいいな~。

私は、コーヒーをすすりながら結果に聞き入った。
「今年は変化の年ですね。引越しとか、転職とか。」
「そうですか。去年一昨年と、人間関係で辛い思いをしたものですから。」
「2年前からよくない年回りなんですよ。大サッカイです。
デリケートで、神経を病みやすいところがあるのね。あまり思い悩まないように気分の切り替えを上手にするといいです。芸術的なことを
続けるといいわ。夢見る夢子みたいなところがあるでしょう?」
「アハハハ~!」
Sちゃんと目と目を合わせて笑った。
「金星人でお金には困らない相が出ていますから大丈夫です。」
「え~、それは当たってないような…あの、結婚運はどうですか?」
「30代はダメね。41歳ごろとあります。でもあなたは晩婚の方が
幸せになれるタイプよ。」
「そうですか。今年のおみくじでも子宝少なしとか書いてあって、
学問に精進するようにとは、あったのですけど。」
「そうね。あなたの名前、学問の相も出ているわ。」
「ふ~ん。生年月日と姓名だけでそんなにわかるんですか。」

次にSちゃんも占ってもらった。
「貴女もゆきんこさんと似てるのね。よく気が合ってお互い解りあえるでしょう。」
「はい。」
Sちゃんと私はハモッて返事した。

階下に降りると、笑顔の女性社員の皆さんが再びの笑顔。
「どうでしたか?」
「はい。当たってました。」

今度は、血液サラサラ診断だ。
先にSちゃんが受診して、私があとから受けた。
採血の特別な道具をプチッと押さえると、左人指し指の指紋の上に
赤い雫が表面張力で浮き出した。
「先生はお医者さんですか?」
「いえ。東洋医学を修めていますから、採血はできません。
ですから、ご自身でしていただいています。」

接骨士が細長いガラス板に乗せて顕微鏡を通して、
PC画面に映し出してくれた。
これも、初体験!!
「うん。(血液の状態)なかなかいいですよ。朝食はパン?それともごはん?」
「ごはんです。それと味噌汁。殆ど和食です。」
「それがいいです。でももっといいのは玄米。」
「はあ。硬いものがいいんですか。」
「硬さよりもしっかり咀嚼するのがいいんですよ。1口30~40回」
「何か気になることはありますか?」
「朝と夜のトイレが近いです。それから、温泉などで長湯するとフラフラします。」
「コーヒーは1日どれくらい飲みますか?その他の水分は?」
「毎食後、お菓子と一緒に牛乳に混ぜてカフェオレにして飲んでいます。1日にスプーン2~3杯でしょうか。お茶も緑茶です。」
「それ、やめましょう。コーヒーに含まれるカフェインは、利尿作用
を促進するので、水分が必要以上に排泄されてしまいます。
そのためお茶が欲しくなるのです。緑茶に含まれるタンニンも、
鉄分の体外に尿として排出されます。だから、血球の真ん中が薄くなっているものもいくつかあります。」
「コンペイトウ型のもありますね。」
「ストレスや老化で球体が変形したものです。それから、ここにプリン体もあります。」
「プリン体?」
「そう。バター、チーズなどの乳製品、うなぎやいか、マグロなど
の魚介類に多く含まれるものです。それを取りすぎているのでしょう。
冷え性の傾向もありますから、大根・人参・生姜など身体を温める根菜類をたくさん食べてください。甘いものも控えてください。身体が冷えて血を汚してしまいますから。」
「はい。コーヒーとお菓子はダメですか…」

お菓子とコーヒーは、人生最大のお楽しみの代名詞。
それを控えろだなんて。ウウウウウ・・・・

診断を終えたばかりだというのに、社員のBさんにお菓子を
勧められると、自動的に手が出てしまう。
それに、社交にかけてはプロ中のプロの保険外交員たちにちやほやされて、しょうもないおしゃべりに花が咲いた。
「髪の毛が多くて伸ばせないんですよ。美容師さんにいやがられてね。ロッドが足りないって。ソバージュあてたらバッハか、セバスチャン、
キャンディ・キャンディになっちゃう。」
「あなた面白くて、ユニークだわ、ゆきんこさん。」
「今、占い師さんにも言われてきました。保育士だったから鍛えられたのもあると思いますけど。」
「私もこの仕事の前は保育士だったんです。この仕事、保育士と
結構似てるのよ。ここは、まだ出来て2年しか立っていないから
お互い年齢やキャリアも気にしないで楽しくやってます。」
「本当に、明るくて雰囲気も楽しいですね。」
「また保育のお仕事を続けられるかどうかは、2ヶ月の試用期間のうちに
考えてみたらどうですか?4月採用のことが多いでしょう。」
「そうですね。保育士の世界も女の園で、いろいろありました…」
「無駄はありませんよ。ファイナンシャルの勉強もできるし、
一番は豊富な人生経験ができますよ。損はしません。」

う~ん、なかなか素敵なお誘い文句に心は揺れた。
後からやってきた同じ町内の女性は決心を固めたようで、
机を挟んだ向かい側から、ニカッと手招きした。

営業所を後にして、Sちゃんと私が小学校1年生で遠足に出かけた
ハイキングコースを散策して雑談した。

「私、多分あの営業所へ行ってみようかな?」
「え?ゆきちゃんが?今まで幼年教育の勉強と実績積んできたのに、
どうして?確かに雰囲気よかったけど、最初はおいしそうな餌をばらまいて気分よくして勧誘するのは、外交員のお手のものじゃないの。
純粋無垢なあなたには向いてないと思うなあ。」

「教員だって、公務員だっていろんな人いるじゃない。みんなから税金取り立てて湯水のように無駄使いしてるよりも、ずっといいと思ったのよ。教育畑ももう正職員なんて無理だし、バイトなら保育所は、
1000円切ってるもん。怪我の対応などの親から来るクレーム対応も、年々険しいから、外交員の方がまだ気楽かと思ったの。
ヒトラーのお父さんだって、公務員だったんだから。
どっちにしても、働かなくっちゃ。
でも、母がきっと黙ってないだろうな~。」

「そうだね。年はいっても箱入り娘だもんね。」
「段ボールだけどね。今朝、母に『今幸せ』って聞いたら、
そんなこと考えたことないって。」
「それだけ必死に、あなたを育ててきてくださったんだもの。
先立つものに困っても、娘には辛い思いをさせたくない母心よ。」
「母って死ぬまで切ないよね。」

目的地の生駒市内に位置するくろんど池には4時15分に到着し、
帰り道は日没のうちに始発駅に戻るべく、早足で歩くと5時15分発の
普通電車に乗り込んだ。

「ねえ、今度は有馬温泉行かない?」
「いいけど…」

おいおい、仕事も勉強もどうしたの!?



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テーマ : 阪神淡路大震災 - ジャンル : 日記

コメント

震災からもう11年も経ったのですね。。。その頃私は何してたか・・・結婚して新婚旅行から帰ってきて束の間主人の父が亡くなって、慌しく時が過ぎ、やっとホッとしてた時期だった。
たくさんの方の犠牲や苦痛を教訓に、いつ起こってもおかしくないと言われている東海地震や南海地震などの大地震に備えて出来る事をやらなければいけませんよね。。。

気の合う女同士で温泉旅行なんて羨ましいわぁ。私も子供が大きくなったら、今居るママ友達と行きたいって思ってるのよ。

野ウサギちゃん。コメントどうもありがとう。
震災のあった1月に結婚されたのですね。でも、お舅さんが亡くなられて、スイートな新婚生活気分ではなかったと思います。

いつかママ友達と温泉旅行へ行く日のために、へそくりをしておいたら、励みになるかもしれませんね。
それまでは、大切な家族との旅行も楽しんでね。
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