2009/09/17 16:39:34
9月中旬になり、爽快な風や夕涼みが楽しい風情になってきました。
ダンヨガをはじめたばかりの私は、いわゆる「丹田力」がまるでない状態。
それまでも、自分の力で粉骨砕身しながらの13年以上に渡る障がい児加配保育士としてのプライドを全身全霊かけて、精進してきたつもりでした。
半年前、わずか2ヶ月で試用期間内に晴天の霹靂のように正職員採用を断られ、全く就職活動に対して拒絶反応を起こしていました。
怒りや憎悪、そして積年の被害者意識に苛まれ続けていたことに気づき、6ヶ月かけて次第に私の心身に滞っていたマイナスエネルギーが浄化され、転じてプラスエネルギーが満ちるように変化したように実感しています。
脳波振動の自然のリズムに任せて全身を振ることで、全身のツボからマイナスのエネルギーが排出され、精充呼吸で新しい新鮮な空気を全身に行き渡らせる。
これを6ヶ月間続けてくると、ヨガのセッションが終わって数時間経つと、全身に風が吹き渡っているようなスーッとしたメントールな感じや、はたまた、ぽかぽかとした熱風が吹くこともあります。
そんなわけで9月に入って、職業訓練校でのプログラムが修了した後も、ヨガのおかげか、心身ともに好調です。
因みに、今週(9月12日〜19日)星占いによると、
「大胆さと思慮深さがうまく一致し、難しい課題や高い目標も乗り越えられる。」
再受験日があと10日と迫りましたが、週2回のヨガと就活と並行してどんどんスケジュールを入れて楽しみながら実行しています。
受験勉強は、今朝は3時間くらいは集中して取り組みました。
先月末に先んじて合格したSちゃんの教材がとても重宝していて、テスト例題集も昨日までに1冊仕上げることができました。
私の場合、主婦業、子育て業から免除されているのですから、これくらいの努力はしないとなと、
根っからのくそ真面目根性に磨きがかかっている今日このごろです。
私の場合、これまで就活の手段に主に地元のハローワークを利用していたので、履歴書書いてもすぐ面接に応じてもらうという方法で就活してきました。
今回は、新聞の折込求人広告や、駅前のフリーペーパーなどもこまめにピックアップして何件か即座にかけて、応募することも厭わずにやってみました。
また、これまで利用したことのなかった「派遣会社」への登録も数件やってみました。
(ダンヨガ修練)以前の私なら、気負いすぎたり焦ったり、腐ったりして気持ちを取り乱す寸前までイライラしていたかもしれません。凹んで何もやる気がせずにダラダラと無為に時間を過ごし、世間や他人を恨みがましく思っていたでしょう。
ヨガの前から就活の度に、写真撮影から、履歴書、マナー講座、模擬面接とありとあらゆる対策はやるだけやってあまりの用意周到さに、友人たちも唖然とするほどのむだな努力家であることを自負してきました。
しかし、今回は、何をやろうと結果がどうであろうと、
「ダメでもともと」
「ケセラセラ」
という開き直り根性まで備わった気がしました。
去る11日金曜日のこと。
先週に引き続き、私が新たに目指す業界特集の求人情報誌が発行されるのを待ち構えて、ヨガ修練を終えてから駅前のその交差点に行こうと思っていました。
しかし、日中のヨガは参加者がいないということで、インストラクターが中休みに外出してしまいました。
終身会員の古参のA氏が修練しているところをお邪魔して、あんまり好きでない「BOW」という103回のお祈りポーズを1セッションやったら、やはり途中から気分がムカムカしてきて退出しました。
お目当ての交差点に行くと、午後3時過ぎなのに最新号の情報誌がまだラックに入っていませんでした。
そのついでに、ジャージに半そでTシャツというラフな姿で、ハローワークのある建物の前に駐輪しました。
「ここに停めたらいけませんか?」
「ホンマはあかんねんけどな、」
警備員の女性が私を失業者と察して多めに見逃してくれた。
「すみません、就活なので助かります。」
「なんか大変なんやってね。何枚かいても落とされるって・・・」
「そうですね。私ももう1年失業してます。」
「がんばってな。行ってらっしゃい。」
「ありがとうございます。行ってきます。」
いつか、訓練校に在籍している最中の就活日に来たとき、ハローワークは待合の席まで満席で、
なんともいえないマイナスエネルギーを帯びたムードが充満していて気分が悪くなり、数分もいられなかった。
しかし、金曜日の午後3時ともなると、空席も半分くらいあって、即座にPC検索することができた。
それから、1分もかからず、自分の理想にぴったりの求人を見つけてプリントアウトし、スタッフに紹介状と面接の依頼を要請した。
あいにく、その日は担当者が出張中とのことで、週明けに自分で電話するようにと指示された。
その日のうちに、前回もお世話になったキャリアカウンセラーのH氏に模擬面接の予約を取り付けた。
翌日のうちに、履歴書は手書きで仕上げたものの、求人の条件欄は「実務経験者」とありそのことがどうも気がかりだった。
週明けは、午前中に直に電話するのを控えて、午後1時からH氏に相談してみることとした。
「ゆきんこさん、去年、あんなに面接もバッチリだったのに、どうしてまたここへ?あなたには今更
模擬面接なんて不必要でしょう?」
「いえ、あの事業所は役員面接はその場で採用を決めていただきました。でも、一緒に働くことになった上司が・・・」
「まあ、事業所によっては、理不尽なことがあるんですねぇ・・・」
「行く先々でそればっかりで、、、、だから、今度はどんなにひどいことがあっても挫けずに仕事にも支障が少ない職種に変更して4ヶ月間、職業訓練に励みました。」
「過去は水に流して、先に進むしかありませんからね。」
「はい、そうですね。」
親切にも、H氏は予め、応募先のHPや想定質問も一式用意してくださっていた。
「応募者は全員で5名です。そのうち既に2名は不採用になったようですな。あとの3名はこれからでまだ募集中のようです。」
「応募しようかどうか相談したくて、まだ先方に電話していないのです。やはり前回の痛手もあって全く未経験の若くない私だと、面接に応じてくださらないだろうと思います。それよりも、実習先だった派遣会社の登録日が16日ですから、そちらの委託先への就職の方が有利かなと思っています。」
「だったら、ダメ元で電話したみたらどうですか?電話の時点で断られたらそれはそれで、次にいけばいいじゃないですか。」
さすがに、ベテラン相談員のH氏にも認められたのかな?という履歴と四方山話のなかに、答えは自ずと見えた。
「お世話になりありがとうございました。帰宅したら早速、電話してみます。」
「またいつでもお声をかけてください。」
「いえ、もうそんなに度々は来たくないんですけど。。。」
苦笑いで再びのH氏と別れの挨拶を交わした。
宣言どおり、帰宅して電話すると、またもや担当者は会議中だとのことだった。
そして、会議が終わると告げられていた3時過ぎ、再びかけようとしていた矢先に、ベルが鳴った。
「いつ、面接に来てもらえますか?明日はどうですか?」
「はい、明日お伺いします。」
あまりにも速攻で、面接日は翌朝15日11時に決まった。
明けて15日は深夜から雨が断続的に降っていた。
9月に入ってからは初めての雨模様だったかもしれない。
なんだか、ぬかるみの結婚した日を思い出す。
失業中は、少し朝寝坊で起床時間は、8時台にずれ込むがそこから面接時刻まで余裕で身支度して
レインスーツに身を包み、自転車をこぎだした。
自宅から約30分。
婚姻届を出した場所からほど近い位置に、志望の面接先はあった。
受付には既に同様のリクルートスーツ姿の若い女性がベンチに腰掛けて待機していた。
どうやら今回の面接、滑り込みセーフだったみたい!?
面接は、事務長室と、相談室の別室でそれぞれの上司と1対1で行われた。
といっても、処遇や勤務条件、職務内容などなど、一方的に話を聞いていただけ。
それぞれの上司からはシンプルにこんな質問が投じられた。
「ケアマネなどは考えませんでしたか?」
「少しは考えました。でも私には、机上の作業が向いていると思い直しました。」
相談室で別途面接を受けたもう一人の上司は、
「実は、私と同い年なんですよねぇ。」
「はい、アラフォーです。40代の方はスタッフにいらっしゃいますか?」
「う〜んん、殆ど20代ですね。僕だけです、40代は。」
「そうですか。」
「どうやって、通勤されますか?」
「最寄り駅はM駅です。今日は自転車で来ました。3年前は隣のK駅まで自転車通勤でした。」
「そうですか、近いですね。」
「もしも、採用していただけたら、付近に引っ越します。お墓も近くにありますから。」
つい口をついて出たことばが、上司の笑いをとった。
調子付いてか、昨日の午前10時も連日、面接になった。
こちらは1ヶ月前から実習先で顔見知りになった派遣会社総括のM氏。
「度々、お電話いただきありがとうございました。」
実習直後の2日には、既に履歴書を持参していたのに、それから丸2週間待機しての面接日を迎えた。
前日同様にM氏から類似の勤務形態の希望や処遇などの説明を受けた。
最後に簡単な、適性テストも30分間受験した。
処遇だけ聞き流したとしても、やはり派遣会社より直接雇用採用の正職員の方がよほど条件はよかった。
しかし、M氏のことばの方がよほど、現実身に迫っていた。
「前職に戻ることはありませんか?以前の仕事とこの現場での業務は違っていると思いますが?」
「既に保育士を辞めて4年ほど経っています。それ以前から、事務職への転向を考えあぐねていました。もう戻ることはないと思います。こちらでスタッフの皆さん方と楽しく実習させていただいたことで、決心がつきました。」
「副総括とも話し合いの末、ゆきんこさんを当社で採用させていただきたいと思います。」
「・・・ありがとうございます!」
「ゆきんこさんには、3つの部署から希望する一つを選んでいただくことになります。正式採用日までに担当者と顔合わせをしてもらえますか?翌週連休明けの24日までに希望部署を考えておいてください。」
「わかりました!では、連休明けのこの時間に改めてお伺いします。」
ドレスアップして、アフタヌーンは旧友たちの待つ天満橋駅へ出発だ!
少し汗ばんだリクルートスーツの私に爽快な9月の熱い風が吹いた。
できるなら、風に生まれ変わりたいのが本音です。
ダンヨガをはじめたばかりの私は、いわゆる「丹田力」がまるでない状態。
それまでも、自分の力で粉骨砕身しながらの13年以上に渡る障がい児加配保育士としてのプライドを全身全霊かけて、精進してきたつもりでした。
半年前、わずか2ヶ月で試用期間内に晴天の霹靂のように正職員採用を断られ、全く就職活動に対して拒絶反応を起こしていました。
怒りや憎悪、そして積年の被害者意識に苛まれ続けていたことに気づき、6ヶ月かけて次第に私の心身に滞っていたマイナスエネルギーが浄化され、転じてプラスエネルギーが満ちるように変化したように実感しています。
脳波振動の自然のリズムに任せて全身を振ることで、全身のツボからマイナスのエネルギーが排出され、精充呼吸で新しい新鮮な空気を全身に行き渡らせる。
これを6ヶ月間続けてくると、ヨガのセッションが終わって数時間経つと、全身に風が吹き渡っているようなスーッとしたメントールな感じや、はたまた、ぽかぽかとした熱風が吹くこともあります。
そんなわけで9月に入って、職業訓練校でのプログラムが修了した後も、ヨガのおかげか、心身ともに好調です。
因みに、今週(9月12日〜19日)星占いによると、
「大胆さと思慮深さがうまく一致し、難しい課題や高い目標も乗り越えられる。」
再受験日があと10日と迫りましたが、週2回のヨガと就活と並行してどんどんスケジュールを入れて楽しみながら実行しています。
受験勉強は、今朝は3時間くらいは集中して取り組みました。
先月末に先んじて合格したSちゃんの教材がとても重宝していて、テスト例題集も昨日までに1冊仕上げることができました。
私の場合、主婦業、子育て業から免除されているのですから、これくらいの努力はしないとなと、
根っからのくそ真面目根性に磨きがかかっている今日このごろです。
私の場合、これまで就活の手段に主に地元のハローワークを利用していたので、履歴書書いてもすぐ面接に応じてもらうという方法で就活してきました。
今回は、新聞の折込求人広告や、駅前のフリーペーパーなどもこまめにピックアップして何件か即座にかけて、応募することも厭わずにやってみました。
また、これまで利用したことのなかった「派遣会社」への登録も数件やってみました。
(ダンヨガ修練)以前の私なら、気負いすぎたり焦ったり、腐ったりして気持ちを取り乱す寸前までイライラしていたかもしれません。凹んで何もやる気がせずにダラダラと無為に時間を過ごし、世間や他人を恨みがましく思っていたでしょう。
ヨガの前から就活の度に、写真撮影から、履歴書、マナー講座、模擬面接とありとあらゆる対策はやるだけやってあまりの用意周到さに、友人たちも唖然とするほどのむだな努力家であることを自負してきました。
しかし、今回は、何をやろうと結果がどうであろうと、
「ダメでもともと」
「ケセラセラ」
という開き直り根性まで備わった気がしました。
去る11日金曜日のこと。
先週に引き続き、私が新たに目指す業界特集の求人情報誌が発行されるのを待ち構えて、ヨガ修練を終えてから駅前のその交差点に行こうと思っていました。
しかし、日中のヨガは参加者がいないということで、インストラクターが中休みに外出してしまいました。
終身会員の古参のA氏が修練しているところをお邪魔して、あんまり好きでない「BOW」という103回のお祈りポーズを1セッションやったら、やはり途中から気分がムカムカしてきて退出しました。
お目当ての交差点に行くと、午後3時過ぎなのに最新号の情報誌がまだラックに入っていませんでした。
そのついでに、ジャージに半そでTシャツというラフな姿で、ハローワークのある建物の前に駐輪しました。
「ここに停めたらいけませんか?」
「ホンマはあかんねんけどな、」
警備員の女性が私を失業者と察して多めに見逃してくれた。
「すみません、就活なので助かります。」
「なんか大変なんやってね。何枚かいても落とされるって・・・」
「そうですね。私ももう1年失業してます。」
「がんばってな。行ってらっしゃい。」
「ありがとうございます。行ってきます。」
いつか、訓練校に在籍している最中の就活日に来たとき、ハローワークは待合の席まで満席で、
なんともいえないマイナスエネルギーを帯びたムードが充満していて気分が悪くなり、数分もいられなかった。
しかし、金曜日の午後3時ともなると、空席も半分くらいあって、即座にPC検索することができた。
それから、1分もかからず、自分の理想にぴったりの求人を見つけてプリントアウトし、スタッフに紹介状と面接の依頼を要請した。
あいにく、その日は担当者が出張中とのことで、週明けに自分で電話するようにと指示された。
その日のうちに、前回もお世話になったキャリアカウンセラーのH氏に模擬面接の予約を取り付けた。
翌日のうちに、履歴書は手書きで仕上げたものの、求人の条件欄は「実務経験者」とありそのことがどうも気がかりだった。
週明けは、午前中に直に電話するのを控えて、午後1時からH氏に相談してみることとした。
「ゆきんこさん、去年、あんなに面接もバッチリだったのに、どうしてまたここへ?あなたには今更
模擬面接なんて不必要でしょう?」
「いえ、あの事業所は役員面接はその場で採用を決めていただきました。でも、一緒に働くことになった上司が・・・」
「まあ、事業所によっては、理不尽なことがあるんですねぇ・・・」
「行く先々でそればっかりで、、、、だから、今度はどんなにひどいことがあっても挫けずに仕事にも支障が少ない職種に変更して4ヶ月間、職業訓練に励みました。」
「過去は水に流して、先に進むしかありませんからね。」
「はい、そうですね。」
親切にも、H氏は予め、応募先のHPや想定質問も一式用意してくださっていた。
「応募者は全員で5名です。そのうち既に2名は不採用になったようですな。あとの3名はこれからでまだ募集中のようです。」
「応募しようかどうか相談したくて、まだ先方に電話していないのです。やはり前回の痛手もあって全く未経験の若くない私だと、面接に応じてくださらないだろうと思います。それよりも、実習先だった派遣会社の登録日が16日ですから、そちらの委託先への就職の方が有利かなと思っています。」
「だったら、ダメ元で電話したみたらどうですか?電話の時点で断られたらそれはそれで、次にいけばいいじゃないですか。」
さすがに、ベテラン相談員のH氏にも認められたのかな?という履歴と四方山話のなかに、答えは自ずと見えた。
「お世話になりありがとうございました。帰宅したら早速、電話してみます。」
「またいつでもお声をかけてください。」
「いえ、もうそんなに度々は来たくないんですけど。。。」
苦笑いで再びのH氏と別れの挨拶を交わした。
宣言どおり、帰宅して電話すると、またもや担当者は会議中だとのことだった。
そして、会議が終わると告げられていた3時過ぎ、再びかけようとしていた矢先に、ベルが鳴った。
「いつ、面接に来てもらえますか?明日はどうですか?」
「はい、明日お伺いします。」
あまりにも速攻で、面接日は翌朝15日11時に決まった。
明けて15日は深夜から雨が断続的に降っていた。
9月に入ってからは初めての雨模様だったかもしれない。
なんだか、ぬかるみの結婚した日を思い出す。
失業中は、少し朝寝坊で起床時間は、8時台にずれ込むがそこから面接時刻まで余裕で身支度して
レインスーツに身を包み、自転車をこぎだした。
自宅から約30分。
婚姻届を出した場所からほど近い位置に、志望の面接先はあった。
受付には既に同様のリクルートスーツ姿の若い女性がベンチに腰掛けて待機していた。
どうやら今回の面接、滑り込みセーフだったみたい!?
面接は、事務長室と、相談室の別室でそれぞれの上司と1対1で行われた。
といっても、処遇や勤務条件、職務内容などなど、一方的に話を聞いていただけ。
それぞれの上司からはシンプルにこんな質問が投じられた。
「ケアマネなどは考えませんでしたか?」
「少しは考えました。でも私には、机上の作業が向いていると思い直しました。」
相談室で別途面接を受けたもう一人の上司は、
「実は、私と同い年なんですよねぇ。」
「はい、アラフォーです。40代の方はスタッフにいらっしゃいますか?」
「う〜んん、殆ど20代ですね。僕だけです、40代は。」
「そうですか。」
「どうやって、通勤されますか?」
「最寄り駅はM駅です。今日は自転車で来ました。3年前は隣のK駅まで自転車通勤でした。」
「そうですか、近いですね。」
「もしも、採用していただけたら、付近に引っ越します。お墓も近くにありますから。」
つい口をついて出たことばが、上司の笑いをとった。
調子付いてか、昨日の午前10時も連日、面接になった。
こちらは1ヶ月前から実習先で顔見知りになった派遣会社総括のM氏。
「度々、お電話いただきありがとうございました。」
実習直後の2日には、既に履歴書を持参していたのに、それから丸2週間待機しての面接日を迎えた。
前日同様にM氏から類似の勤務形態の希望や処遇などの説明を受けた。
最後に簡単な、適性テストも30分間受験した。
処遇だけ聞き流したとしても、やはり派遣会社より直接雇用採用の正職員の方がよほど条件はよかった。
しかし、M氏のことばの方がよほど、現実身に迫っていた。
「前職に戻ることはありませんか?以前の仕事とこの現場での業務は違っていると思いますが?」
「既に保育士を辞めて4年ほど経っています。それ以前から、事務職への転向を考えあぐねていました。もう戻ることはないと思います。こちらでスタッフの皆さん方と楽しく実習させていただいたことで、決心がつきました。」
「副総括とも話し合いの末、ゆきんこさんを当社で採用させていただきたいと思います。」
「・・・ありがとうございます!」
「ゆきんこさんには、3つの部署から希望する一つを選んでいただくことになります。正式採用日までに担当者と顔合わせをしてもらえますか?翌週連休明けの24日までに希望部署を考えておいてください。」
「わかりました!では、連休明けのこの時間に改めてお伺いします。」
ドレスアップして、アフタヌーンは旧友たちの待つ天満橋駅へ出発だ!
少し汗ばんだリクルートスーツの私に爽快な9月の熱い風が吹いた。
できるなら、風に生まれ変わりたいのが本音です。
2009/09/07 17:21:16
先月、8月31日で訓練校最後の修了式を迎え、60名の受講生が賞状を授与された。
なかには、インフルエンザで来れなかった噂のNさんや、実習途中にトラブルが生じたために、数名の訓練生たちが除外されていた。また、なかには複数の証書を授与されている人もいた。
複数の証書とは、3ヶ月間勤しんできた受講内容の資格試験の合格証だった。
「これからも時々会いたいね。」
「また、来月末も会えるね。」
「再受験がんばろうね。」
「就活もね。」
「ああ〜、でも就活疲れるなあ〜・・・」
各々の実習先は決していいことばかりでなく、最後に臨席したYさんは円らな瞳がチャームポイントなのに、口角をへの字に下げていた。
実習期間の4ヶ月を終えてみたところで、すぐに就職先が転がり込んでくるわけじゃない。
「お世話になりました。」
次期入校生たちのお世話で気忙しそうなヤマピー先生に挨拶し、訓練校の所在する雑居ビルを出た。
時々、交流していた中途身障者のYさんに声をかけた。
「Yくん、元気でね。」
しかし、彼は知らん振りして杖をついて遠ざかっていった。
実習中、コバンザメのAちゃんと同じ現場だったらしいけど、どうなったんだろう??
午前中のうちに、訓練校仲間とは別れて、正午には「旅立ちの鐘」の前でSちゃんと待ち合わせた。
同じ受験にSちゃんは合格して、同じ業界の就活を先んじて始めていた。
長年の友情のおかげで、情報交換でダベリんぐしながら、しばし、午後の優雅な(?)ランチを楽しんだ。
「民主党圧勝でなんだかいい気味!4年前のブログには確か自民圧勝って書いた覚えがある。」
お互い長引く不況と相俟って就活が厳しいことにめげずにがんばれることをひたすらがんばろうと、
ケーキセットに舌鼓を打ちつつ励ましあった。
けれども、さすがに9月に入っても、8月の実習夏バテモードを引きずっていた。
Sちゃんを呼び出し、専用テキストを借りて再受験勉強体制を整えたはずが、スランプモード。
今週、Pさん宅を2回訪問する機会を得た。
2日の夜は、共通の恩ある知り合いであるN先生のお誘いを受けて公共施設で毎月行われている
発達障害児を対象とした事例研究会に初参加した。
N先生によれば、K駅付近のこの施設でとある障がい者の親の会が主体となって、教職員関係者や
小児科医を召喚してのスーパーバイズつきの本格的な支援活動が始まって10年ほどの歴史があるという。
隣のN市内に在住在職する現役の小学校・支援学校の教員が、それぞれの現場で問題を抱えている
発達障害児とその家族支援のためにグループワークを行っていた。
といっても、それはほんの一握りの熱意ある教員なんだろうか?
転職すると決めて1年経過してみると、案外、それまで教職員大学院では当たり前にこびりついていた「発達障害」やら「アスペルガー」「特別支援教育」という文言は、身近に見聞することからフェイドアウトしてしまったように思う。
事例のA君(小4)の問題点を私なりに掘り下げる作業を、ベテラン教員に混じってグループ討議することは、4年のブランクにもかかわらず、別段難しいことではなかった。
私には、最後のH保育所でかかわったR君との日々が蘇ったからだ。
コメンテーターでA君の主治医のY先生が、彼がウツ状態で、リタリンとLドーパを服用しながらギリギリの学校生活を送っていることを慮っての支援を要請して、閉会した。
世間は広いのか狭いのか、私は閉会してN先生に告げた。
「私としては、今回N先生のお誘いいただき、本当にありがたいです。ようやく小児科医のY先生にお目にかかれたって感じです。
5年前の受験勉強の際、研究計画書をお願いしていた自閉症のお子さんは、Y先生が担当医でした。
今年に入って、踏切を挟んだ商店街の一角でわんわんコミュニティというサークルに参加していますが、代表の中学生の保護者の方がY先生のクリニックで愛犬を介したふれあい活動を行っているんです。」
「そうですか。Y先生にかかっている発達障害のお子さんたちは付近にたくさんいらっしゃいますね。
でも、Y先生がABA以外にもそのような活動に賛同していらっしゃるとは知りませんでした。」
それから、P家を再訪したのは、昨日6日の午後。
お正月ぶりに、Pさん一家が勢ぞろいした。
といっても、ゆきんこの場合はP家に仲間入りして1年半と日も浅いし、まだまだ他人行儀が抜けない。
そんなとき、遠慮がちな大人の関係を緩和するのは無邪気な幼児の存在であることは間違いない。
「Yちゃん、来たよ〜!!」
「イヒヒヒヒヒ〜!」
ちょうど4歳になったPさんの姪のYちゃんの保育は、終日、ゆきんこの専任となった。
「ひとつだけ食べよう」
「くまさんの横にある四角いのな〜んだ?」
「これ!!」
長年、大人よりも子どもとかかわってきたゆきんこの保育技術は我ながら廃れていなかった。
Pさんの弟夫婦には、数多の他児たちと比べて我が子が今、どんな発達状況のどんな課題をもっているのかまで、専門家チックに分析はできないだろう。
「ゆきんこさん、いっしょにしよう!」
「いいよ。でも、ママにいいってきいた?」
Yちゃんから無邪気に手を引いてキャッチボールやかくれんぼ、リカちゃんの幼稚園ごっこなど諸々の遊びに誘われると、根っからの子ども好きな私としては、楽しくて断りきれないのだった。
どうも先月、『新・児童心理学講義』を読んだせいかな?
そういうわけで、翌日の今日はかなりくたばっています。。。
なかには、インフルエンザで来れなかった噂のNさんや、実習途中にトラブルが生じたために、数名の訓練生たちが除外されていた。また、なかには複数の証書を授与されている人もいた。
複数の証書とは、3ヶ月間勤しんできた受講内容の資格試験の合格証だった。
「これからも時々会いたいね。」
「また、来月末も会えるね。」
「再受験がんばろうね。」
「就活もね。」
「ああ〜、でも就活疲れるなあ〜・・・」
各々の実習先は決していいことばかりでなく、最後に臨席したYさんは円らな瞳がチャームポイントなのに、口角をへの字に下げていた。
実習期間の4ヶ月を終えてみたところで、すぐに就職先が転がり込んでくるわけじゃない。
「お世話になりました。」
次期入校生たちのお世話で気忙しそうなヤマピー先生に挨拶し、訓練校の所在する雑居ビルを出た。
時々、交流していた中途身障者のYさんに声をかけた。
「Yくん、元気でね。」
しかし、彼は知らん振りして杖をついて遠ざかっていった。
実習中、コバンザメのAちゃんと同じ現場だったらしいけど、どうなったんだろう??
午前中のうちに、訓練校仲間とは別れて、正午には「旅立ちの鐘」の前でSちゃんと待ち合わせた。
同じ受験にSちゃんは合格して、同じ業界の就活を先んじて始めていた。
長年の友情のおかげで、情報交換でダベリんぐしながら、しばし、午後の優雅な(?)ランチを楽しんだ。
「民主党圧勝でなんだかいい気味!4年前のブログには確か自民圧勝って書いた覚えがある。」
お互い長引く不況と相俟って就活が厳しいことにめげずにがんばれることをひたすらがんばろうと、
ケーキセットに舌鼓を打ちつつ励ましあった。
けれども、さすがに9月に入っても、8月の実習夏バテモードを引きずっていた。
Sちゃんを呼び出し、専用テキストを借りて再受験勉強体制を整えたはずが、スランプモード。
今週、Pさん宅を2回訪問する機会を得た。
2日の夜は、共通の恩ある知り合いであるN先生のお誘いを受けて公共施設で毎月行われている
発達障害児を対象とした事例研究会に初参加した。
N先生によれば、K駅付近のこの施設でとある障がい者の親の会が主体となって、教職員関係者や
小児科医を召喚してのスーパーバイズつきの本格的な支援活動が始まって10年ほどの歴史があるという。
隣のN市内に在住在職する現役の小学校・支援学校の教員が、それぞれの現場で問題を抱えている
発達障害児とその家族支援のためにグループワークを行っていた。
といっても、それはほんの一握りの熱意ある教員なんだろうか?
転職すると決めて1年経過してみると、案外、それまで教職員大学院では当たり前にこびりついていた「発達障害」やら「アスペルガー」「特別支援教育」という文言は、身近に見聞することからフェイドアウトしてしまったように思う。
事例のA君(小4)の問題点を私なりに掘り下げる作業を、ベテラン教員に混じってグループ討議することは、4年のブランクにもかかわらず、別段難しいことではなかった。
私には、最後のH保育所でかかわったR君との日々が蘇ったからだ。
コメンテーターでA君の主治医のY先生が、彼がウツ状態で、リタリンとLドーパを服用しながらギリギリの学校生活を送っていることを慮っての支援を要請して、閉会した。
世間は広いのか狭いのか、私は閉会してN先生に告げた。
「私としては、今回N先生のお誘いいただき、本当にありがたいです。ようやく小児科医のY先生にお目にかかれたって感じです。
5年前の受験勉強の際、研究計画書をお願いしていた自閉症のお子さんは、Y先生が担当医でした。
今年に入って、踏切を挟んだ商店街の一角でわんわんコミュニティというサークルに参加していますが、代表の中学生の保護者の方がY先生のクリニックで愛犬を介したふれあい活動を行っているんです。」
「そうですか。Y先生にかかっている発達障害のお子さんたちは付近にたくさんいらっしゃいますね。
でも、Y先生がABA以外にもそのような活動に賛同していらっしゃるとは知りませんでした。」
それから、P家を再訪したのは、昨日6日の午後。
お正月ぶりに、Pさん一家が勢ぞろいした。
といっても、ゆきんこの場合はP家に仲間入りして1年半と日も浅いし、まだまだ他人行儀が抜けない。
そんなとき、遠慮がちな大人の関係を緩和するのは無邪気な幼児の存在であることは間違いない。
「Yちゃん、来たよ〜!!」
「イヒヒヒヒヒ〜!」
ちょうど4歳になったPさんの姪のYちゃんの保育は、終日、ゆきんこの専任となった。
「ひとつだけ食べよう」
「くまさんの横にある四角いのな〜んだ?」
「これ!!」
長年、大人よりも子どもとかかわってきたゆきんこの保育技術は我ながら廃れていなかった。
Pさんの弟夫婦には、数多の他児たちと比べて我が子が今、どんな発達状況のどんな課題をもっているのかまで、専門家チックに分析はできないだろう。
「ゆきんこさん、いっしょにしよう!」
「いいよ。でも、ママにいいってきいた?」
Yちゃんから無邪気に手を引いてキャッチボールやかくれんぼ、リカちゃんの幼稚園ごっこなど諸々の遊びに誘われると、根っからの子ども好きな私としては、楽しくて断りきれないのだった。
どうも先月、『新・児童心理学講義』を読んだせいかな?
そういうわけで、翌日の今日はかなりくたばっています。。。
2009/08/30 16:37:19
一昨日、28日(金)の午前9時から午後5時までで、無事職業訓練現場実習を終えました。
最終日は、カウンターで対象の方々と直接面して受付けるという第1戦の実務も経験しました。
実習先は、かなり有名な施設のため諸々の職務現場実習生を随時多数受け入れているところではありますが、業務上、信用第一、絶対にどんな小さなミスも許されないという仕事だったので、やりがい充分責任重大、でも無給の丁稚奉公でした。
先輩スタッフと常々連呼していた合言葉は、「申し訳ございません・・・」と「ダブルチェック!」でした。
おかげで、水曜日・木曜日あたりには目・肩・腰に慢性疲労が蓄積し、頭痛にも苛まれました。
しかし、年配の熟女スタッフの指導のおかげで楽しく過ごせたし、ふつうじゃない対象者を相手に気遣いと臨機応変さが多々必要な部署でもあった。
最後には4名のスタッフの皆様からこんなことばをもらった。
「さみしくなるね。」
「何だか居心地よくさせてもらって馴染んでました。楽しかったです。」
「ここよりももっといいところ探しなさいよ。この部署は数をこなせば誰だってできるんだし、訓練校で習ったことが活かせる所へ行かなくちゃもったいないよ。」
「無給でしたけど、ひとつひとつ丁寧に新しい業務を教えていただき、貴重な実習経験でした。
楽しかったです。ありがとうございました。みなさんもお元気でお体に気をつけてくださいね。」
「それって、どういう意味ですか?」
最年少らしき若い男性スタッフにそう突っ込まれて、
「いえ、他意はないですよ。今日で最後だから別れの挨拶だったんですが。こんなとき、なんて言えばいいんでしょう?」
実習生のゆきんこが、この部署の普段の雰囲気にプラスアルファー効果があったのか、
それとも、他の部署に比べても粒ぞろいの気さくなスタッフで構成されていたせいか、
冗談交じりでさわやかに名残を惜しんで別れとお礼の挨拶を交わした。
しまったな〜という心残りがひとつだけ。
何と新卒時以来、17年ぶりに袖を通した水色地にタータンチェックのベストと濃紺のタイトスカートの事務服姿で8月いっぱいを過ごしたのだけど、記念写メールを撮ることなく返却してしまった。
それと、私が最も不得意なPC作業もたったの30分くらいしか経験させてもらうことはできなかった。
専用端末は、実習先特有の情報管理を行っている以上は、難易度には関係なくアンタッチャブルなのは当然だ。
しかし、端で垣間見たり、申込書の窓口担当業務をするからには個人情報が丸見えなのも驚きだった。
昨年の今頃、もしかするとゆきんこの情報もこの実習先に流入するおそれがあったと思えば、
人生どうなるか全く予測がつかないのだった。
実習先が御馴染みの駅から程なく愛用の電動自転車で通勤できたのも現場に馴染みやすかったかもしれない。
紙袋に10名分の実習生の事務服を詰め込んで担当責任者のKさんにお返しした。
「皆さんには1ヶ月で各部署での実務の雰囲気を味わってもらえたと思います。また、いきなり就職される前にこのような大規模なところで実務経験されたのも意義があると思います。どうか、今後の就職活動の一助にしてください。」
最後に挨拶をして、解散しKさんがエスカレーターに向かった背後を追いかけた。
「お呼び止めしてすみません。」
Kさんは立ち止まり、振り返った。
「私にとって地元の慣れ親しんだこの施設で是非とも引き続き働かせていただきたいと思います。」
「そうでしたか。ゆきんこさんはよく働いてくれたのに、その後、申告がなくて挨拶もされていたのでどうされるのかとスタッフが言ってたのですよ。では、このメモに連絡先を書いてください。今日は上役が欠勤ですから週明けに電話連絡の上、履歴書を提出していただきますね。」
「はい、よろしくお願いします。」
実習中の合間も、ヨガエクササイズを続けることで更に、心身ともに効果は続いているように思えた。
行く度に、新規会員が入会し、レッスンを継続することで浮かない表情の入会間もない会員と、私より前から継続しているベテラン会員の心身の健康度の違いは明白だった。
脳波振動で、特に疲れたり痛かったりだるかったりするところを、自然に任せてやたらと振ったり、叩いたりすることが習慣づいてきた。全身のツボが開き、頭痛や肩こり、腰痛などもほぐれて楽になってきた。四肢の経絡からスーッとメントールのようなさわやかな感じや、以前ならへこたれてできなかったヘンゴンのポーズが維持できるようになった。最後の2人ペアでの背中叩きでは、「ア〜〜〜」という声と共に背中をバチバチ叩かれるとこれまた爽快痛気持ちよく感じられるようになった。
いつも抑えられると痛くて溜まらず、泣き叫んでいた中丹田のツボは殆ど痛くなくなった。
機能の午前中のエクササイズでも、こんなコメントを残した。
「今日も鳥になってパタパタしていましたね。」
「どうしてでしょう?脳波振動でも丹踊でもばたばたと動き回っていますね。(笑)もともとぼーっとしていましたが、いっそうぼーっとしています。前から時々感じていましたが、全ての5番までのヘンゴンポーズが終わり、全身を開放してリラックスしているとき眉間からスーッとさわやかなそよ風がふいている気がしています。以前は喜怒哀楽が激しかったのですが、感情的にならず平常心でいられることが増えた気がします。」
時には、カラダのなかで何かが駆け巡っている感じや、ぽかぽかと暖かい感じ、大きく腹式呼吸をすると、掌や足の裏がスーッとしたり、ビリビリとしびれることも度々になってきた。
インストラクターのE先生が、入会したばかりのシニアの女性に解説した。
「丹田力がつくことで、単に体力をつけるだけでなく、いわゆる存在感のある『腹の座った人』に変われます。つまり、どんな物事にも動じず生活のあらゆる事物のなかで応用できる力が身につきます。
気迷ったり、悩んだり、考えすぎたりせず、ありのままに自信をもって生きていける力が丹田力なんです。」
だからといって、就職が無事にできるんだろうか?
試験にも落ちたし、まだ就職できていないんだけど、確かにケセラセラという天然の暢気さは助長されているようだ。
そういう自助努力はもとよりですが、今日は選挙当日。
ヨガスタジオからTシャツにジャージ姿のまま、歩いて付近の市役所内に突入すると、
報道の通り、わが町でも不在者投票にやってきた市民がかなり増えていました。
ゆきんこが希望している再就職先の時給はなんと750円と殆ど最低賃金です。
私が失業中に高額のヨガに投資し、精進したからといって、やっぱり政治家が意識改革していただかないことには、どうにもならないこともあります。
しかし、どうにもならないことをどうにかしたい。
そんな一縷の望みを清きわが一票に託したい。
この一票を投じれば、安定した仕事と家庭が営めるなら、それが誰にとっても本望ではないでしょうか?
「時給1000円以上を公約します!」
と街頭で支持政党のスタッフがメガホンで叫んでいるところを行き交い、総合福祉会館へと向かいました。
最終日は、カウンターで対象の方々と直接面して受付けるという第1戦の実務も経験しました。
実習先は、かなり有名な施設のため諸々の職務現場実習生を随時多数受け入れているところではありますが、業務上、信用第一、絶対にどんな小さなミスも許されないという仕事だったので、やりがい充分責任重大、でも無給の丁稚奉公でした。
先輩スタッフと常々連呼していた合言葉は、「申し訳ございません・・・」と「ダブルチェック!」でした。
おかげで、水曜日・木曜日あたりには目・肩・腰に慢性疲労が蓄積し、頭痛にも苛まれました。
しかし、年配の熟女スタッフの指導のおかげで楽しく過ごせたし、ふつうじゃない対象者を相手に気遣いと臨機応変さが多々必要な部署でもあった。
最後には4名のスタッフの皆様からこんなことばをもらった。
「さみしくなるね。」
「何だか居心地よくさせてもらって馴染んでました。楽しかったです。」
「ここよりももっといいところ探しなさいよ。この部署は数をこなせば誰だってできるんだし、訓練校で習ったことが活かせる所へ行かなくちゃもったいないよ。」
「無給でしたけど、ひとつひとつ丁寧に新しい業務を教えていただき、貴重な実習経験でした。
楽しかったです。ありがとうございました。みなさんもお元気でお体に気をつけてくださいね。」
「それって、どういう意味ですか?」
最年少らしき若い男性スタッフにそう突っ込まれて、
「いえ、他意はないですよ。今日で最後だから別れの挨拶だったんですが。こんなとき、なんて言えばいいんでしょう?」
実習生のゆきんこが、この部署の普段の雰囲気にプラスアルファー効果があったのか、
それとも、他の部署に比べても粒ぞろいの気さくなスタッフで構成されていたせいか、
冗談交じりでさわやかに名残を惜しんで別れとお礼の挨拶を交わした。
しまったな〜という心残りがひとつだけ。
何と新卒時以来、17年ぶりに袖を通した水色地にタータンチェックのベストと濃紺のタイトスカートの事務服姿で8月いっぱいを過ごしたのだけど、記念写メールを撮ることなく返却してしまった。
それと、私が最も不得意なPC作業もたったの30分くらいしか経験させてもらうことはできなかった。
専用端末は、実習先特有の情報管理を行っている以上は、難易度には関係なくアンタッチャブルなのは当然だ。
しかし、端で垣間見たり、申込書の窓口担当業務をするからには個人情報が丸見えなのも驚きだった。
昨年の今頃、もしかするとゆきんこの情報もこの実習先に流入するおそれがあったと思えば、
人生どうなるか全く予測がつかないのだった。
実習先が御馴染みの駅から程なく愛用の電動自転車で通勤できたのも現場に馴染みやすかったかもしれない。
紙袋に10名分の実習生の事務服を詰め込んで担当責任者のKさんにお返しした。
「皆さんには1ヶ月で各部署での実務の雰囲気を味わってもらえたと思います。また、いきなり就職される前にこのような大規模なところで実務経験されたのも意義があると思います。どうか、今後の就職活動の一助にしてください。」
最後に挨拶をして、解散しKさんがエスカレーターに向かった背後を追いかけた。
「お呼び止めしてすみません。」
Kさんは立ち止まり、振り返った。
「私にとって地元の慣れ親しんだこの施設で是非とも引き続き働かせていただきたいと思います。」
「そうでしたか。ゆきんこさんはよく働いてくれたのに、その後、申告がなくて挨拶もされていたのでどうされるのかとスタッフが言ってたのですよ。では、このメモに連絡先を書いてください。今日は上役が欠勤ですから週明けに電話連絡の上、履歴書を提出していただきますね。」
「はい、よろしくお願いします。」
実習中の合間も、ヨガエクササイズを続けることで更に、心身ともに効果は続いているように思えた。
行く度に、新規会員が入会し、レッスンを継続することで浮かない表情の入会間もない会員と、私より前から継続しているベテラン会員の心身の健康度の違いは明白だった。
脳波振動で、特に疲れたり痛かったりだるかったりするところを、自然に任せてやたらと振ったり、叩いたりすることが習慣づいてきた。全身のツボが開き、頭痛や肩こり、腰痛などもほぐれて楽になってきた。四肢の経絡からスーッとメントールのようなさわやかな感じや、以前ならへこたれてできなかったヘンゴンのポーズが維持できるようになった。最後の2人ペアでの背中叩きでは、「ア〜〜〜」という声と共に背中をバチバチ叩かれるとこれまた爽快痛気持ちよく感じられるようになった。
いつも抑えられると痛くて溜まらず、泣き叫んでいた中丹田のツボは殆ど痛くなくなった。
機能の午前中のエクササイズでも、こんなコメントを残した。
「今日も鳥になってパタパタしていましたね。」
「どうしてでしょう?脳波振動でも丹踊でもばたばたと動き回っていますね。(笑)もともとぼーっとしていましたが、いっそうぼーっとしています。前から時々感じていましたが、全ての5番までのヘンゴンポーズが終わり、全身を開放してリラックスしているとき眉間からスーッとさわやかなそよ風がふいている気がしています。以前は喜怒哀楽が激しかったのですが、感情的にならず平常心でいられることが増えた気がします。」
時には、カラダのなかで何かが駆け巡っている感じや、ぽかぽかと暖かい感じ、大きく腹式呼吸をすると、掌や足の裏がスーッとしたり、ビリビリとしびれることも度々になってきた。
インストラクターのE先生が、入会したばかりのシニアの女性に解説した。
「丹田力がつくことで、単に体力をつけるだけでなく、いわゆる存在感のある『腹の座った人』に変われます。つまり、どんな物事にも動じず生活のあらゆる事物のなかで応用できる力が身につきます。
気迷ったり、悩んだり、考えすぎたりせず、ありのままに自信をもって生きていける力が丹田力なんです。」
だからといって、就職が無事にできるんだろうか?
試験にも落ちたし、まだ就職できていないんだけど、確かにケセラセラという天然の暢気さは助長されているようだ。
そういう自助努力はもとよりですが、今日は選挙当日。
ヨガスタジオからTシャツにジャージ姿のまま、歩いて付近の市役所内に突入すると、
報道の通り、わが町でも不在者投票にやってきた市民がかなり増えていました。
ゆきんこが希望している再就職先の時給はなんと750円と殆ど最低賃金です。
私が失業中に高額のヨガに投資し、精進したからといって、やっぱり政治家が意識改革していただかないことには、どうにもならないこともあります。
しかし、どうにもならないことをどうにかしたい。
そんな一縷の望みを清きわが一票に託したい。
この一票を投じれば、安定した仕事と家庭が営めるなら、それが誰にとっても本望ではないでしょうか?
「時給1000円以上を公約します!」
と街頭で支持政党のスタッフがメガホンで叫んでいるところを行き交い、総合福祉会館へと向かいました。
2009/08/24 21:05:58
週明けの実習現場で最終週の第4週を迎えた。
出勤前の天気は爽快な9月初旬の陽気と報じていた。
少し冷え込んだせいか、ぐっすり熟睡したわりには寝覚めは悪く、眠気が残ったまま起床した。
それでも、戸外へ出ていつもの坂道を自転車で滑り降り市街地を通り抜けると自然、清清しい気分になった。
しかし、ただならぬムードが漂う文書窓口のスタッフの面持ちが気になりつつ、実習生らしくいつも通りにご挨拶。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「大丈夫ですか?お顔の色がよくありませんね。まだしんどいのでは?」
「ええ、、、大丈夫です。」
実習の初日にオリエンテーションで個人情報保護についてのレクチャーをしてくださった
生後2ヶ月の女の子のパパである総括のO氏と文窓口担当のDさんがなにやらひそひそ話。
古今東西、ありとあらゆる人間関係が複雑でややこしく悩ましいのは、「仕方がない」?
いえいえ、仕方がないだなんて心理学者は単純にカタをつけないだろう。
「だいたいわかったやろ?」
「はい。」
先週1週間で、やっとこさ文書窓口の主要な流れはなんとか掴めた。
「でも、本気でこの業界で働きたいんやったらこの部署よりもせっかく訓練校で勉強した資格試験をそのまま活かせる部署をお薦めするわ。」
「そうですか・・・」
この仕事も奥は深いので究めればそれなりにやりがいを持って(人間関係に目をつぶれば)従事していけそうな実感を覚えていた。
とりわけ、この職場はとてもばかでかい規模の人々が入り乱れてやってくる。
同じ職種の女性部隊は100名以上はいるし、他にも多種多様の職種の人々がそれぞれのユニフォームに応じたそれぞれの役割を果たしていた。
その独特の組織運営が何といってもこじんまりした従来の保育・障がい者関連の施設とは違ってある意味閉塞感を感じさせていなかった。
それで、転記して残しておきたかったのは、昨日に引き続きヴィゴツキーのことばです。
P245 第4章 結論
われわれは、この定式化を充分な明瞭さをもって今まで述べてきたすべてのものからどのようにして行うのかについて、福音書の定式であれ、ゲーテの定式であれ、われわれが強調しなかったどのことばであれ、そこに立ち止まることはできない。しかし、これらすべての定式は、グーツマンの定式を含めて必然的に継続する必要性を認めないわけにはいかない。それらは始めに何が存在したかについて述べている。しかし、何がその後にあったのか、始めは始め、つまり運動の出発点に過ぎない。
発達の過程そのものが、出発点の否定、始めにはないが発達の道のりの最後に位置している高次の行為の形態への運動をそれ自身のなかに必然的に含んでいる。それはどのようにして実現されるのか、この問いへの解答の試みがわれわれをしてこの書物を書くようにしむけたのだ。われわれは、その試みの延長として言葉がどのようにして行為に基づいてそれ自身知性化し、発達しながら、行為を高次の行為に意志の刻印をどのようにつけるのかを示そうとした。しかし、われわれは、簡単な定式で一つの位相でこのことすべてを表したいのであるから、われわれは、次のように述べることができよう。もし、発達の始めに言葉とは無関係な行為があるとするなら、発達の最後には行為となりゆく言葉がある。人間の行為を自由なものにする言葉が。
出勤前の天気は爽快な9月初旬の陽気と報じていた。
少し冷え込んだせいか、ぐっすり熟睡したわりには寝覚めは悪く、眠気が残ったまま起床した。
それでも、戸外へ出ていつもの坂道を自転車で滑り降り市街地を通り抜けると自然、清清しい気分になった。
しかし、ただならぬムードが漂う文書窓口のスタッフの面持ちが気になりつつ、実習生らしくいつも通りにご挨拶。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「大丈夫ですか?お顔の色がよくありませんね。まだしんどいのでは?」
「ええ、、、大丈夫です。」
実習の初日にオリエンテーションで個人情報保護についてのレクチャーをしてくださった
生後2ヶ月の女の子のパパである総括のO氏と文窓口担当のDさんがなにやらひそひそ話。
古今東西、ありとあらゆる人間関係が複雑でややこしく悩ましいのは、「仕方がない」?
いえいえ、仕方がないだなんて心理学者は単純にカタをつけないだろう。
「だいたいわかったやろ?」
「はい。」
先週1週間で、やっとこさ文書窓口の主要な流れはなんとか掴めた。
「でも、本気でこの業界で働きたいんやったらこの部署よりもせっかく訓練校で勉強した資格試験をそのまま活かせる部署をお薦めするわ。」
「そうですか・・・」
この仕事も奥は深いので究めればそれなりにやりがいを持って(人間関係に目をつぶれば)従事していけそうな実感を覚えていた。
とりわけ、この職場はとてもばかでかい規模の人々が入り乱れてやってくる。
同じ職種の女性部隊は100名以上はいるし、他にも多種多様の職種の人々がそれぞれのユニフォームに応じたそれぞれの役割を果たしていた。
その独特の組織運営が何といってもこじんまりした従来の保育・障がい者関連の施設とは違ってある意味閉塞感を感じさせていなかった。
それで、転記して残しておきたかったのは、昨日に引き続きヴィゴツキーのことばです。
P245 第4章 結論
われわれは、この定式化を充分な明瞭さをもって今まで述べてきたすべてのものからどのようにして行うのかについて、福音書の定式であれ、ゲーテの定式であれ、われわれが強調しなかったどのことばであれ、そこに立ち止まることはできない。しかし、これらすべての定式は、グーツマンの定式を含めて必然的に継続する必要性を認めないわけにはいかない。それらは始めに何が存在したかについて述べている。しかし、何がその後にあったのか、始めは始め、つまり運動の出発点に過ぎない。
発達の過程そのものが、出発点の否定、始めにはないが発達の道のりの最後に位置している高次の行為の形態への運動をそれ自身のなかに必然的に含んでいる。それはどのようにして実現されるのか、この問いへの解答の試みがわれわれをしてこの書物を書くようにしむけたのだ。われわれは、その試みの延長として言葉がどのようにして行為に基づいてそれ自身知性化し、発達しながら、行為を高次の行為に意志の刻印をどのようにつけるのかを示そうとした。しかし、われわれは、簡単な定式で一つの位相でこのことすべてを表したいのであるから、われわれは、次のように述べることができよう。もし、発達の始めに言葉とは無関係な行為があるとするなら、発達の最後には行為となりゆく言葉がある。人間の行為を自由なものにする言葉が。
2009/08/23 17:06:51
今日でブログを開設して丸4年経過した。
つまり、マイブログ4周年記念日ですね。(パチパチパチパチ拍手)
「継続は力なり」とは真実だと思います。
どうにしてこんなにも心理学が大好きなのに、その道のプロになることを遮断化されているのか・・・
その煮え切らない自分で自分の思いを言語化しにくいもどかしさは、
タイムリーによくやく精読したヴィゴツキーの古典的、且つ重要な文献のなかに発見した。
とりわけ、印象に残ったのは、第5章 3歳の危機だった。
ブログを飛び出し、Pさんとめぐり会って3年目。
2005年8月23日にこのブログが誕生して3年目から4年目にかけては、それと関連付けるわけではないが、新婚生活も公私も(現在完了進行形で)不安定極まりなかった。
けれども、自分の不遇を嘆いてじっとしていたのでは、その時間が長引くだけだ。
おかげで、私はヨガをやったり、自然にまかせていろんなところへ出かけていってさまざまな方々の境遇を見聞させていただき、人脈を広げることで It’s not only me.
自己憐憫に浸ったり、途方にくれることをしなくなった。
今日の午前中のヨガもとってもいい感じでしたが、ヨガでは、いつも目標を決めてそれに向かって精進するようにとインストラクトがあります。
そこで、明日返却期限の『新 児童心理学講義』を完読し、ブログにアップすると決めました。
今回も、解説(柴田 義松)を抜粋して転記します。
レフ・セメノヴィッチ・ヴィゴツキー(1896〜1934)は、ロシアが生んだ天才的学者の一人である。
スイス生まれの同じく天才的な心理学者ピアジェと同じ年の1896年に生まれた。
しかし、86歳の天寿を全うしたピアジェとは異なり、1934年38歳の若さでこの世を去ってしまった。
長生きしていたらおそらくピアジェと並ぶ世界の大心理学者として、またピアジェの好敵手として
全世界の心理学会に大きな影響を与えたに違いないのにと惜しまれる。
ヴィゴツキーは10月革命の起こった1917年にモスクワ大学法学部と、シャニャフスキー人民大学の
歴史-哲学科を卒業した。
文学や演劇の研究から心理学の研究へと移っていったヴィゴツキーの最初の著作は、
『芸術心理学』1925年で、「ハムレット」とかクルイロフの寓話などを分析しながら、芸術作品が我々の心に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものである。
これによって学位を得たヴィゴツキーは、モスクワの心理学研究所、モスクワ国立大学、レニングラード教育大学などで心理学の研究や教育に従事し、多数の青年学徒を組織して研究者集団をつくり出し、さまざまの心理学問題に関する独創的な研究実験をおこなった。ヴィゴツキーの行った学問的業績はソビエトの心理学・児童学・精神病理学・欠陥学・教育学などの広範な分野に渡っている。
後に、ソビエト心理学会の重鎮となったレオンチェフ、ルリヤ、エリコーニン、ザンコフなどは、ヴィゴツキーの直接指導を受けた人たちである。
ヴィゴツキーの主な著作、『思考と言語』(1934)『高次精神機能の発達』(1931)『心理学の危機』(1927)などは、彼の30歳代に書かれたものである。今日、ヴィゴツキーの心理学説があらためてロシア国内だけでなく広く世界的にも関心をよんでいるのは、もっぱら彼のすぐれた精神発達の理論によるものである。
ヴィゴツキーは、子どもの精神発達を常に文化的・社会的環境と教育との深いかかわりのなかでとらえようとした。ピアジェが子どもの心理の研究において「教授的環境」をできるだけ排除しようとしたり、旧来の伝統的心理学において子どもの発達が教育の結果としてよりも、むしろ教育の前提として
考えられる傾向があったりしたのと比べ、これは、対照的な特徴だといえよう。ヴィゴツキーはむしろ発達を先回りし、自分の後に発達を従えるのでなければならないと考えた。(中略)ヴィゴツキーは、子どもが遊びにおいても学習においても、集団のなかで互いに協力し、みんなといっしょに何かをするときには、しばしば自分ひとりではできないことまでできるようになるという事実に着目し、そこから「発達の最近接領域」という彼の発達理論にとってきわめて重要な概念を作り出した。心理学者も子どもの発達状態を評価するときには、成熟した機能だけでなく、成熟しつつある機能を発達の最近接領域をも明らかにしなければならないとヴィゴツキーはいう。
ヴィゴツキーは、そこから教育はまさに発達の最近接領域において、知恵遅れの子どもの教育においてもこれらの子どもには抽象的思考の能力が弱いからといって、もっぱら直観性に基づく教育をしておれば、かえって子どもたちを直観的思考にのみ慣らし、この子どもたちにもいくらかは存在する抽象的思考の芽を育てることにはならない。
1980年以降、アメリカをはじめヨーロッパやアジア諸国でヴィゴツキーの心理学説への関心が高まるとともに、さまざまの教育改革の動きが活発化しているが、子どもにおける知覚、注意、記憶、言語的思考の発達の問題をはじめとして、児童心理学・発達心理学・障害児教育学等のさまざまの実践的問題に取り組んでいったのである。その後のソビエト(ロシア)心理学の基本的路線の多くは、ヴィゴツキーによって敷かれたものである。
今朝、目覚めとともに、昨晩から読みかけの幼児期ページから、自分の論文を引っ張り出して読み返した。
私の口頭試問で「是非、後続研究をやってほしい。」とエールをくださると共に、この著を特選してくださったIS准教授やヴィゴツキーにまで、思いを馳せてみた。
ゆきんこは人生にエラーだらけ、失敗だらけの凡庸なおばさんである。
あつかましいことに、コバルトブルーの表紙に写った在りし日のスマートな風貌のヴィゴツキーおじさんに、なぜだか、改めて親しみが湧き出し、母の生誕年に召された天空とつながっている気がした。
つまり、マイブログ4周年記念日ですね。(パチパチパチパチ拍手)
「継続は力なり」とは真実だと思います。
どうにしてこんなにも心理学が大好きなのに、その道のプロになることを遮断化されているのか・・・
その煮え切らない自分で自分の思いを言語化しにくいもどかしさは、
タイムリーによくやく精読したヴィゴツキーの古典的、且つ重要な文献のなかに発見した。
とりわけ、印象に残ったのは、第5章 3歳の危機だった。
ブログを飛び出し、Pさんとめぐり会って3年目。
2005年8月23日にこのブログが誕生して3年目から4年目にかけては、それと関連付けるわけではないが、新婚生活も公私も(現在完了進行形で)不安定極まりなかった。
けれども、自分の不遇を嘆いてじっとしていたのでは、その時間が長引くだけだ。
おかげで、私はヨガをやったり、自然にまかせていろんなところへ出かけていってさまざまな方々の境遇を見聞させていただき、人脈を広げることで It’s not only me.
自己憐憫に浸ったり、途方にくれることをしなくなった。
今日の午前中のヨガもとってもいい感じでしたが、ヨガでは、いつも目標を決めてそれに向かって精進するようにとインストラクトがあります。
そこで、明日返却期限の『新 児童心理学講義』を完読し、ブログにアップすると決めました。
今回も、解説(柴田 義松)を抜粋して転記します。
レフ・セメノヴィッチ・ヴィゴツキー(1896〜1934)は、ロシアが生んだ天才的学者の一人である。
スイス生まれの同じく天才的な心理学者ピアジェと同じ年の1896年に生まれた。
しかし、86歳の天寿を全うしたピアジェとは異なり、1934年38歳の若さでこの世を去ってしまった。
長生きしていたらおそらくピアジェと並ぶ世界の大心理学者として、またピアジェの好敵手として
全世界の心理学会に大きな影響を与えたに違いないのにと惜しまれる。
ヴィゴツキーは10月革命の起こった1917年にモスクワ大学法学部と、シャニャフスキー人民大学の
歴史-哲学科を卒業した。
文学や演劇の研究から心理学の研究へと移っていったヴィゴツキーの最初の著作は、
『芸術心理学』1925年で、「ハムレット」とかクルイロフの寓話などを分析しながら、芸術作品が我々の心に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものである。
これによって学位を得たヴィゴツキーは、モスクワの心理学研究所、モスクワ国立大学、レニングラード教育大学などで心理学の研究や教育に従事し、多数の青年学徒を組織して研究者集団をつくり出し、さまざまの心理学問題に関する独創的な研究実験をおこなった。ヴィゴツキーの行った学問的業績はソビエトの心理学・児童学・精神病理学・欠陥学・教育学などの広範な分野に渡っている。
後に、ソビエト心理学会の重鎮となったレオンチェフ、ルリヤ、エリコーニン、ザンコフなどは、ヴィゴツキーの直接指導を受けた人たちである。
ヴィゴツキーの主な著作、『思考と言語』(1934)『高次精神機能の発達』(1931)『心理学の危機』(1927)などは、彼の30歳代に書かれたものである。今日、ヴィゴツキーの心理学説があらためてロシア国内だけでなく広く世界的にも関心をよんでいるのは、もっぱら彼のすぐれた精神発達の理論によるものである。
ヴィゴツキーは、子どもの精神発達を常に文化的・社会的環境と教育との深いかかわりのなかでとらえようとした。ピアジェが子どもの心理の研究において「教授的環境」をできるだけ排除しようとしたり、旧来の伝統的心理学において子どもの発達が教育の結果としてよりも、むしろ教育の前提として
考えられる傾向があったりしたのと比べ、これは、対照的な特徴だといえよう。ヴィゴツキーはむしろ発達を先回りし、自分の後に発達を従えるのでなければならないと考えた。(中略)ヴィゴツキーは、子どもが遊びにおいても学習においても、集団のなかで互いに協力し、みんなといっしょに何かをするときには、しばしば自分ひとりではできないことまでできるようになるという事実に着目し、そこから「発達の最近接領域」という彼の発達理論にとってきわめて重要な概念を作り出した。心理学者も子どもの発達状態を評価するときには、成熟した機能だけでなく、成熟しつつある機能を発達の最近接領域をも明らかにしなければならないとヴィゴツキーはいう。
ヴィゴツキーは、そこから教育はまさに発達の最近接領域において、知恵遅れの子どもの教育においてもこれらの子どもには抽象的思考の能力が弱いからといって、もっぱら直観性に基づく教育をしておれば、かえって子どもたちを直観的思考にのみ慣らし、この子どもたちにもいくらかは存在する抽象的思考の芽を育てることにはならない。
1980年以降、アメリカをはじめヨーロッパやアジア諸国でヴィゴツキーの心理学説への関心が高まるとともに、さまざまの教育改革の動きが活発化しているが、子どもにおける知覚、注意、記憶、言語的思考の発達の問題をはじめとして、児童心理学・発達心理学・障害児教育学等のさまざまの実践的問題に取り組んでいったのである。その後のソビエト(ロシア)心理学の基本的路線の多くは、ヴィゴツキーによって敷かれたものである。
今朝、目覚めとともに、昨晩から読みかけの幼児期ページから、自分の論文を引っ張り出して読み返した。
私の口頭試問で「是非、後続研究をやってほしい。」とエールをくださると共に、この著を特選してくださったIS准教授やヴィゴツキーにまで、思いを馳せてみた。
ゆきんこは人生にエラーだらけ、失敗だらけの凡庸なおばさんである。
あつかましいことに、コバルトブルーの表紙に写った在りし日のスマートな風貌のヴィゴツキーおじさんに、なぜだか、改めて親しみが湧き出し、母の生誕年に召された天空とつながっている気がした。



